自分がやってる武術について紹介します
でもカンフーって、やればやるほど説明するのがおそらくとても難しいことじゃないって思い、書けなくなる..文章化できない世界なんですよね、特に中国武術は「氣」を用いますから
それで、どうやったら中国武術の魅力についてブログで、文章で分かってもらえるか考え続けてきたんですけど、それはもう無理だと分かりました。
ある意味諦めて手放したんです。
中国武術は言葉で説明できない、それをはるかに超える壮大なものだとはっきり理解したんで、
もう自分の文章でなんとか解説しようとか、無理をしないと決めたんです
自分が文章にできること、したいことだけをとにかく書いておこうと
それを誰かが読んでちっとも面白くなくても、意味不明でも仕方がない。
中国武術とは身体で体感するものだからです
だから、今は「何とか魅力を伝えなきゃ」と考えず自分をそこから自由にしようと思っています
祖母から引き継いだ健康法~中国武術
まず私とカンフーの出会いについて。
最初は健康オタクだった祖母に楊式太極拳を習ったことから中国武術、つまり
カンフーと恋愛が(偶然の文字化け)始まりました
祖母は実に多くの東洋式健康法をしていて、子供の頃から祖母にヨガを習っていました
そして大人になり、いつしかボディワークセラピストとしてかなりいろいろなボディムーブメントを体験していきました
ヨガインストラクターになろうとスクールにも入りましたが、どうもヨガは私の体に合いませんでした。他にも整体やダンスや剣道や西洋式ボディヒーリングメソッドなどをことごとく修得していきましたが、これだというものがありませんでした
しかしある時祖母の家にあった太極拳の録画を見たのです
なぜかその時「スポーツは好きではないが、これはスポーツを超えた何かだ。運動音痴だが、これは私の身体にもっとも合うものだ。だから他の何をやってもやめても、これだけは一生かけてやろう」と最初から思っていました
そしてその通り、なぜか日々太極拳をやるようになっていました
そのうちそれだけでは物足りなくなり、陳式も習うことにしました
けれど実際探してみるとなかなか良い教室に出会えないで参っていました
そこで、偶然見かけた教室のチラシ先に連絡しました
その先生がこれまた偶然、中国武術太極拳の大家ともいえる人で、
あらゆる武術に優れていたのです
それで、まずその先生から中国武術の華麗さと凄さ、多様性を学んだのです
金庸作品「射鵰英雄伝」に出会い、決定的な決意をした
日々、太極拳の心身への効果に気づき、目覚めていった私には、すでに太極拳はなくてはならないものになっていました。そして他のもっと複雑でアグレッシブな、また柔らかく優雅な中国武術にも出会ってみたいという思いが強くなりました。
太極拳は今は一種のラジオ体操のように編纂されていますが、れっきとした武術の一つです
だから他の多くの武術の基礎となる誰でもできるやさしい武術の型であり、でもそこには土台をつくるための
大事な要素が詰まっています。それだけをひたすら何年もやっているうちに、もっと違う世界を見てみたくなりました。そして新たな師匠を探している時に出会ったのが、金庸作品です。
金庸作品といえば、世界で聖書の次に発行部数が多いと言われる、中国文学の大家です
その頃韓ドラに飽きてしまった私は、武術ものだしな、と思って金庸の小説のドラマを見ました
もっとも素人がとっつきやすいであろう「射鵰英雄伝」です
素人が、と言っていますが中身はかなり壮大でかつダイナミックで何とも面白い!!!!
金庸最高!と思って金庸作品にはまっていきました
そしてそこには、ただのカンフーアクションではなく、
「生きるとは何か」「義とは何か」「技とは何か」が哲学的抒情的に描かれていました
それは私に多くのことを教え、多くのことを学びました
正直、私の先生は武術太極拳のプロではありましたが、哲学を持っていなかったのです
ただ体を強くし相手に勝ち、大会で優勝すること、それが目標でした
でもカンフーとは実はそういうものではなかったのです
それは一部であり、一つの見方やり方であり、本来はもっともっと深遠なものでした
それは人を大地自然宇宙と一体にし、心身を鍛え、心を鍛え、自分が強くなるためのものでした
それはあらゆる意味で健康を完成させ、健康の秘訣、よりよく生きるための秘術の宝庫でした
今までの先生はそれを重んじていなかったため、ひたすら強くひたすら大会だったので、私はそれを知りませんでした。そして金庸作品によって知ったのです
その時から私は、
「中国武術に人生を捧げる」と決意しました
中国武術こそ、真に私の求めてきたものだと知ったのです魂によって。
他の仕事はしていますが、それでも人生のあらゆるところで中国武術を取り入れ、
常に武術家として生きると決意しました
それ程大きな影響を金庸は与えてくれ、そして多くの知らなかった知識を与えてくれました
中国武術は説明するのが難しい壮大な世界~だからこそ面白い
中国武術を文章化するのが難しい理由の一つに、まずとにかく歴史が長くかつ武術同士が柔軟なので新旧入り交じり、そこに民間武術などもあり、地方によっても違い、あまりにも沢山の流派があって皆が違うことを言うので、よほどの武術研究家でもなければ要約することすらできないほど膨大な技と知識の集積があるからです
中国武術は、歴史がとんでもなく長いために、どれがどう、というきちんとした定義ができません。定義しているのは各流派の達人がそれぞれ言いたいことを言ってそれぞれに解釈しているだけでこれが正しい、これこそ中国武術というのは特定できません
長い歴史の中でいろいろな人がいろいろな技を交えてマッシュアップして、
すべての流派は今に至っています。おそらく固定化した流派はないと思います
日本の伝統文化と違い、悠久の歴史と大きな国土と心の鷹揚さを持った中華人は、
武術においても悠々たる姿勢でお互いを認め合い、お互いのやり方を学び、取り入れてきました
だから型というものがあっても、これが正しい型、という定型は厳密にはありません
武当派にしたって、そこには多くのほかの流派がかなり混じっており、
武当派に属すると言われる多の流派も複数あります
いつまでたってもよくわからないのです
型もあるし、また継承していく伝統の技や生活スタイルもありますが、
一方で長い歴史の中で伝統を継承していきながらも、
色々なものを融合させ、次なる新しいスタイル、技を次々と生み出し、
次々他の流派とまじりあう柔軟性があります
そして、武当派と出会う
出典:テレビドラマガイド(チャンネル銀河)
彼を見てください
これが武当派の本当のスタイル、道士はこういう感じです
金庸作品に必ず出ているのが、武当派の武術家たちです
彼らは道士として描かれ、実際に武当派の継承者はイコール道士です
道士とは道教に帰依して道教的生活をしているいわば僧侶ですが、彼らは武術も得意です
道士は老子や荘子の教えを土台とし、道教的ライフスタイルをしながら、武術を教え、
生き方の規律を教え、健康になる秘訣を教え、そして武当山にあるように、「治世玄岳」
のために生きています。それはつまり社会や人のために自らを生かす生き方、さらに自分を磨いて修練に生き、余計なものをすべて省いて、老子のようにただ流れるがままに宇宙自然と一つになって生きています。
金庸作品でも道士はそのように描かれていますが、常に義侠心を忘れない道士の姿に
あこがれを持つようになりました
「陳情令」でも描かれる道士の生き方
出典陳情令ドラマDVDガイド
日本でも中国ドラマにおいては今までになりほどのブームとなった陳情令でも、道士は出てきます。というか、言ってみれば彼らは名前は違えども中身ややっていることはつまり、武当派であり道士といえます
印象的なシーンの一つに、藍氏での座学合宿を終えた日に魏無羨が祈っていますよね
「悪をくじき弱きを助ける者となれますように」
これはまさに道士の模範的な姿であり、本来道士とは
そういう存在でした。そのために武術を用いたのです。
陳情令に出てくるキャラクターは仙師ですが、もともと仙師は道士ともいえるでしょうし、限りなく仙師と道士は近い存在です。
実際道士は仙術にたけており、老子のような仙人的な生き方を目指しているともいえるからです。
さらに言えば、陳情令では道士としては描かれていませんが、魏無羨のお母さんは蔵色散人という、道士です。この蔵色散人が道士なのは、暁星塵の師匠であることではっきりします
暁星塵はまさに道士の格好をしていますし、社会のために遊歴している優れた道士です
ということは、魏無羨の母が道士であり、魏無羨も本来は道士、
つまりは武当派の血を引いていることになります
武当派は武術を格闘技ではなく、総合藝術・総合文化と考える
私がなぜ武当派にたどり着くことに至ったか?
それはもちろん、金庸作品の影響であり、金庸作品に出てくるような道士のようになりたかったからです
そして武当派はあらゆるところで他の武術と違う側面を持っています
そのユニークさにひかれたというのもあります
道教の影響を受けた武術ですので、道教的なライフスタイル(例えば風水や漢方薬や易など)が当たり前である中華圏においては、ドラマに出てくるほとんどの武術は武当派の影響が大きいです。道教的な部分が普通の中華人になじみやすいのと、武当派の武術の多様性とカッコよさがどこをとっても、あらゆる武術系・パフォーミングアーツ系コンテンツにおいて多用されやすいものといえます
それでは武当派の特色とはなんでしょうか?
武当派はとても広範囲に「武術なるもの」をとらえていて、
かつ神妙で不思議な世界観を持った総合藝術かつ技術です
武当派は武術そのものだけではなく、書道・漢字練習・瞑想・水墨家・茶・
儒者並みの四書五経その他古代の哲学の勉強・特に易経と論語の勉強・詩歌
なども修練・練習・修業としています
何といっても一番大事な文化的修練は音楽。
これは音楽を重視してきた孔子に通じるものがあります
使う楽器は笛と琴。
大抵の武当派武術家は笛か琴か両方ができ、毎日朝から音楽から始まります
一日中音楽だけをしている道士もいます、これも修業なのです
これは音律術といいます
※「陳情令」を参考にしてください
またいつも言うように、武当派にとっては三教(仏教・儒教・道教)を
学ぶことも武術であり修練です
特に、土台となるのは老子と荘子の道教ですから、まずは老荘思想、
そして道教的考えや捉え方を学びます
例えば、陰陽五行や八卦、易などを重んじます
また「流れるようにあるがままに」という老子の生き方を学びます
その一方で、仏教や儒教も尊重しており、どちらもかなり学びます
これもまた、陳情令の座学合宿さながら、座学もかなりやるのです
人としての教養、生きる知恵、武当派の叡智、自然宇宙観などをここで磨きます
だから中国武術の中では一番座学が多い流派と言えると思います
その一方で、武術は生温いんじゃないの?と思う人もいるかもしれないですが、
武術はかなりダイナミックでかつ詩的です
相手打倒のために筋肉を使ってプロレスのようなことをすることもありますが、
内家拳の代表でもある武当派は、多くは自分を鍛え、
更に世や人々のために尽くすことを自負しています
そして他では使わない武器なども使いますし、他にはない套路も多いです
道教的な技・方術・法術・仙道・符術・易・武躍・舞踊・瞑想・仏法学習・導引・
気功・摩訶不思議な仙人術など、きりがないほど 範囲が広くバリエーションもムーブメントも学習範囲が広大なのが特徴です
独特の動きや太乙や龍門派の舞踊系武術、仙術的修練法や少林寺的修業など、非常に多用な
要素があり、とにかく中国武術のほぼすべてを網羅しているというほどです
そしてそのスタイルの美しさはコンテンポラリーダンスにも通じるところがあり、よって武当派は世界のあらゆるパフォーミングアーツに応用され、武術指導に起用されるのです
武当派は名門宗家
ウィキペディアでみると
「武当派(ぶとうは)は、武俠小説などにおいて名門の一派として登場する中国武術の一派。張三丰(太極拳の創始者に仮託されている)が創設したとされる。武当山を本拠とする。」
とあるだけであまり深いことは何も書いていません
共同通信を通じて中国政府が解説した武当派は以下の通り。
「武当山の自然景観は圧巻で、「世界で最も美しい山」として知られている。武当山には中国で最も完全かつ最大の道教建築物群が現存している。この建築物群は地形の特徴を十分に活用し、頂上、山間部、坂、岩、小川に宮殿を建設して中国建築芸術の「人と自然が調和して共存する」優れた伝統を反映し、「自然を、そして人と自然が1つになることを追究する道」という伝統的中国文化の考え方を示している。そのため、武当山は「古代中国建築の成果の博物館」、そして「崖に取り付いた紫禁城」として知られている。
武当武術は中国武術の主要流派の1つで、武術と健康維持法の自然なコンビネーションだ。それは深淵な武術の伝統文化を持つだけでなく、極めて優れた科学的根拠も備えている。太極、陰陽、五行と八卦といった古代中国の哲学を拳法の動作原理、拳法技術、鍛錬の指針、武闘戦略に適用している。海外の友人の多くが武術を学ぶことにおいて武当山に引き付けられている。2010年、米イリノイ州のPinnick Jake氏は道教の伝統的な武術学校で武術を学ぶために武当山を訪れた。10年以上の真摯な鍛錬の結果、Pinnick Jake氏はいまや武術指導員になり、武当三豊派の第16代継承者になった。2020年12月、太極はユネスコの人類無形文化遺産の代表的な一覧表に登録された。」
出典:共同通信prwireより
正直政府の出している解釈、これがもっとも端的かつ適切な武当派の説明です
中国3大名門の一つであり、日本の伝統文化と同じ扱いです
ですからそれを継承する宗家、あちらでいうと世家のようなものが存在し、大体そうした宗家は正式に武当派を引きついで、また継承者を育てているので養成するための学院を持っています
よって、宗家と呼ぶより武当系学院と呼ばれていることが多いです
これは、金庸作品には必ず出てきますし、また陳情令の各氏の存在ととても似ているので
見た人はすぐに想像がつくでしょう
武当山が世界遺産になったくらいですから、
中華文化の本流・源泉・核心・歴史・道教的生活文化・知恵といえるものが
沢山詰まった壮大な特色を持つ中国伝統文化としての、
圧倒的なパワーを持った武術流派です
武当派が日本で広まらなかったわけ
もともと、武当派武術をする人と言えば、道教に帰依した道士でした
今でも武当派を継承しているのは、道教の道士であり、少林寺における僧侶に相当します
武当派が他の格闘技系な武術と違うのは、
もともと老子由来の道教の武術だからです
他のあらゆる中国文化同様に、武当派にとっての中心は「氣」です
氣を練り、氣を鍛錬し、氣を用い、氣を洗練させ、氣を持って戦う
一般には氣を重んじる系統の武術を内家挙といいますが正にその代表です
そこでは強くなって相手を倒すことより、自分を修練することに重きが置かれるため
これだけ文化面の学習が多く、ユニークで、飽きることはないのです
また、道士は日本で言えば古代から続く宮司さんに役割が似ています
よって、民や民衆、昔風にいえば天下太平に導くために、多くの祭祀に関わり、
また人々を助ける仙師のようなところが昔からあります
ただ、武当派武術をやりたい人が全員道士になる必要はありませんし
何らかの教義や偶像崇拝があるわけでもないです
そう、教義やアイコンはないんです
なぜなら多分、道教そしてもともとをたどれば武当派の始祖である老子自体が、
あるがまま自然と生きる、という人だったので、教義とか偶像崇拝を嫌ったからでしょう
老子は人はただ自然であり宇宙であり、あるがままに生きるでよし、とだけ言いました
それが道教そして武当派の根本です
ただあるがまま。
今に言うマインドフルネスでいつづけるということです
道士の目指すことは、治世玄岳とマインドフルネス。
つまりこの世をよくするために、
そして自らは自然宇宙に還るために、
それをもってして自らや人々を助けるために道士は古代から活躍しました
まさに陳情令の2人の祈り、
「悪しきをくじき、弱き人々を助けることができますように」が武当派の原点です
だから、格闘技を嫌う傾向があります
格闘技ではないのですが、技の多さと美しさには芸術性があり、多様性があるため
実際には非常に多くのドラマや映画で武当派を
原点・インスピレーションとした武術が展開しています
技の特異性と美は、詩情さえ感じ、
観ていて「これこそ江湖だ」と思わせる神聖さがあります
よって、その教養の深さと技の多様性、独自性と人生哲学ゆえに、
いわば武当派の武術家は、「芸術的仙師武術家」とも言えます
仙師は、主に仙術を使い、つまり古代中国で言えば氣を用い、
常人ではできないような術を使って戦ったり、癒したり、最終的には不老不死をめざします
その根本的には氣という見えざる力を使って事をなしていきます
この老子の生き方をそのまま武術にしたようなところこそが、武当派の他と大きな違いです
そこが、武当派があまり日本で大きく広まらなかった理由でもあります
日本では、欧米のようにタオイズムは流行っていません
一方欧米では、タオイズムは日本の禅と同じく大人気です
日本では、未だに「氣・エネルギー」という概念を認められずにいます
そういうものを中国武術をやっている人さえ「珍妙だ」とバカにするようなこの国では、氣を何より重んじ、不思議な世界観を持つ(と言っても厳密に言えば不思議でもなんでもなく、すべては易と陰陽五行と氣を重んじているだけなのですが、無知というのはそういうものです)武当派の武術を、わけのわからないものとして敬遠してきました
日本人は古来から、自分が気感をもっていないからと言って、
わけのわからない見えないものをどうしても受け容れられず、
論理的に考える孔子でさえ受け入れているのに、日本は儒教の中でさえも
氣を学ぶ機会はほぼなかったと思われます
そういうわけで、武当派は中国では名門でありながら、
日本ではメジャーな武術にはなっていません
また、これをメジャーにやっている人も観たことがありません
武当派を知っている人も少なくもちろん教室も先生もほぼいません
仮にやっていたとしても、うちの師匠や隣の学院の大師兄のように、
古代からの伝統的本物の武当派をどれだけ受け入れているのかは分かりません
とにかく日本人特に男の人はスピリチュアルなことにアレルギーがありますから。。。
しかし、こんなすごい力量を持った武当派という智慧が、
古代から存在してきたのに、ほとんど日本で広まらなかったことは残念なことです
武当派はまずヨーロッパそしてアメリカで人気になった
このように、とても中身が豊かで多様性と芸術性がある武当派は
見ているだけでも感動してしまうムーブメントであり、
かつやればやるほど健康になる健身法でもあります
この素晴らしい総合藝術にまず先に気づいたのは、欧米でした
欧米では新しいスピリチュアルな意識の広まりと共に
科学にしばられない、古代からの智慧や叡智に答えを求めよう
というムーブメントがずっと続いています
現在、特にヨーロッパそしてアメリカでは、タオイズムが人気ですが、
武当派はタオイズムを土台に、
中国のこのタオや老荘思想に憧れる人は少なくなく、
よって武当派は海外にも学院(宗家分家)を作り、海外進出しています
私もそこから武当派を習い始めました
今や、武当派の師匠たちは皆英語ペラペラです
海外に武当派を広めていくため、英語は普通に話しています
武当派の持つ力強さ・身体動作の美しさ・実際に健康になる有用性・年を取らず若返るスキル・多くの芸術の修練・中国古代哲学のみならず、三教も学ぶその奥深さと知恵とスマートさ。
それらは、現代生活に疲れ、また商業主義や競争に疑問を感じるようになった
欧米の人々から注目されるようになって日本でも再認識されるようになりました
それを陳情令の人気や、中国ドラマの人気が今後押ししています
また、大昔からその柔軟性をもって、他の多くの技術や、流派や、技や型や套路をマッシュアップさせて来た武当派は、新しいものといわば「コラボレーション」することが上手いのです
伝統を継承しつつも、伝統を上手く使い新しいものとコラボできるだけの容量がすごいのです
それが余計に欧米に受け入れられ、世界中のあらゆる武術・エンターテインメント・パフォーミングアーツ・ダンス・新競技とコラボしたり、他の分野に、その基本技や理念を応用するかたちで、世界に自然と浸透していっています
そして教える方もまた、広範囲に教える機会があります
こうして、武当派は世界に飛び立ち、世界レベルの武術になっていっています
今や多くのエンターテインメントの中に、武当派の影響をとってみることができます
武当派の技を面白おかしく使ってはほしくはないですが、
それでも武当派という素晴らしい総合芸術によって皆が健康になっていけるならば、
なんと素晴らしく、嬉しい事でしょうか!
そう、結局武当派の目指すところは
心・体・魂の健康と強さです
それを楽しく実現していくのがこの流派なのです
人々が武当派をやってみたいと思って、ぜひこの雄大且つ壮大な武術の世界を経験し、練習し、本当の力、本当の美、本当の若さ、本当に大事な人としての礼と徳を学んでくだされば
これこそ、武当をするものにとっての喜びです