コロナで増えた「SNSだけの友達」はほんとに友達か?
コロナで顕著になったことはといえば、ネット上での付き合いややり取りが格段に増えた
個人的にだけでなく社会的にも世界的にも・・・
ただそれを経験して思うことは
SNSで出会った人と、友達を続ける唯一の方法は 1つしかない
なるべく早く実際に会うこと
それができなければ最低でも、
声を聞いて話し合うこと、
が自然にできるような関係にしておくことだ
出会うこと、 電話が自然体でできること
どっちかが実現していれば関係は長続きする、 たとえ 誤解があって 喧嘩があって 言い合いがあったとしても、
結果的には長続きする
ある程度まで 言いたいことを言い合えるから 相手が見えるので安心できるから
相手に いいところも悪いところもあるっていうことを自然に認められるから
でもメールだけで続けるのは、ほんとに友達になりたいならばおすすめしない
本当に友達になりたいなら、リアルに持っていこう!
メールだけでは、どんなに親しくなっても 、どんなにじっくり話をしても 、どんなに分かり合ったつもりでいても、実際に分かり合ったとしても 、どんなに意気投合をしても、
やはり いつか終わりが来る、切れてしまう
今日も私は友達を失った
友達だと思っていた人
コロナの間にネットで知り合った人
素性は実際何も知らない
よく考えれば、何も、何もかも知らないんだ
でも ほんの一時期だけど 、自分の心の内をありったけ 話すことができた人だった
なのになぜこんなにあっという間に終わってしまったの?
それはコミュニケーションが 足りてなかったから?
そんなことはない、 ほとんど日々毎日のようにやり取りをし続けてきた
私はこの方に助けられ、
この方が苦しんでる時は 私が励ましを送り続けた
私たちは仲良しになれたはずだと思う
話せることはたくさんあったし、何でも遠慮しないで話すことができる稀有な存在だった
でもメールよりも電話、リアル、
たまにでも会話 、 やっぱり 絶対に必要なのだ
リアルな会話 、出会い、ディスカッション …
そういうものがなければ やっぱり人間はどこかで人間関係の土台を作れず、何か信じられないと思って切れてしまう
何かの拍子に
SNSだけで本当の友達や友情は絶対できない
メールだけではだめなんだ
SNS だけではダメなんだ
オプチャだけではだめなんだ
絶対に切れる
100% 切れると私は確約する
たまにテレビなんかで、引きこもっていた人たちがネットで知り合い、元気になって活動するようになった、これはネットで出会った友達のおかげ、とかやっているけど、そもそも人に会うこともできない人がそんなにバリバリにSNS友達だけで元気に社交的に変身するとは思いません。大げさな話で、ほぼありえません。ほとんどは、SNSだけで終わり、その終わり方は悲惨だったりするでしょう。SNSでの出会いをことさらに美化するものではありません
再度になるが、本当に仲良くしていきたいなという人、心の友 あるいは 心の友になれる と思われるような人、そういう人を見つけたら… そういう人を見つけることはほとんど不可能に近いんだから …
そんな親友を見つけたら絶対に会うべき!
そして遠方とかでなかなかできないならせめて電話で話すべき!
スカイプとかでやりとりすべき!
(なるべくリアルに近づけること、声で話すだけでもだいぶ違う)
それが一番
その人をリアル友達にできないなら、あなたは何をおそれているの?
でもそれらができないなら、あなたは「出会う」「友達」というものの何かをおそれている
失うことをおそれ、姿を晒しての生の付き合いをおそれ連絡ができないでいる
ってこと
私とその人は共通の興味関心があり、だからやり取りするようになった
何でも意のままに語る自由奔放な私だから、結果として外国人ばっかり友達で 、韓国人ばっかり友達で、 会社も外資系、何年もほぼ毎日英語でしか仕事をしていない
そんな人間である私は、黙り込む日本人が多い中、
意思がはっきりしていて 意見を言ってくれるこの方が大好きだった
語りたい話題を語ることもできたし、なかなか言いづらいことも愚痴ることができたし 、
コロナがまだ開けていない状況の中で自分の立場も微妙だった頃 、特に助けられた
メールだけでも十分、心から私は話すことができた
メールでも充分、心を交わすことはできる
メールでも充分救いになるし助けになるし喜びになる
でもやっぱりメールはメールなんだ
メル友、SNSでは深い友情を築けても、所詮ただの会話
終わってしまう時は必ず来ると私は思っていた
終わらせたくないなら、 会わなければいけないし、少なくとも電話をしなければいけない
これ鉄則なんだ
やっぱり人間としての絆、 人としての肌感覚を持つために必要なんだ
私たちはそれをしなかった
そしてただひたすらメールをしていた
私はそれでも満足するほど、 いろんなことを話せて気持ちは嬉しかったけれど、
このままではいつか変わる、終わると思ってて
それは私たちに根本的にリアルな関係性がなかったからである
そして私たちに基本的な プライベートな姿を晒すということは実はなかったからである
そして基礎的な土台となるリアルなコミュニケーションがなかったからである
ただ話題で意気投合するだけでは、やっぱり 十分ではないのだ
人間が人間として付き合いながら、 色々なことを乗り越えて
付き合いを続けていき信頼を作っていくためには 、
ネット、それだけでは十分ではないのだ
私たちをつなぐ糸は、あまりにも細かった
SNSの友達は、リアルになるまでは素性のわからない、
人柄のわからない相手
あんなに話を交換してメールをしたり メールを読んだりメールをやり取りすることは楽しかったのに、相変わらず電話することもなく会うこともなく、
実は 実際には顔も本名もわからないで、 実は男性なのか女性なのか 一体何歳なのか ?
それもわからないまま 誕生日カードを送ったりプレゼントを贈ったりしていた
そんな風に付き合いがネット上で続いた
ただ自分のことが話せることが嬉しかった
推しの話ができることが嬉しかった
推しについての議論は白熱していた
正直、その人の推しに対する強い思いに圧倒される時もあった、時においてあまりにも厳密にこの方が推しの変化を 観察していることに私は 耐えられなくなってしまった
それを正直に言っても許してくれた
でもなぜ終わったんだろう?
答えは簡単だ
関心がなくなったからだ
おそらく共通の関心事である推しについてのやりとりは、楽しいときはいいけれど、
推しに関心がうすれれば、私にも関心がうすれるということ
つまり、「私」というものには関心がないということなのだ
だから、私には、この方が私自身の人生とともにお互い寄り添ってやっていく気がないことが、
推しに対する関心の低さとともに、わかるようになってきた
目に見えて私とのやり取りにも関心がなくなっていくし、推し以外には話したいとも思っていないことを今更ながらにあのときは気づいた
そして、だから、やり取りに興味を持たなくなっていったと思う
私はそのことを薄々感じていた
ただ、人生の転機 はいくらでもある
どんなに変化しても失いたくない友達というのがいる
この方はその一人だった
SNSだけで、深い話はいくらでもしてきたが、相変わらず素性のわからない相手・・・
そして推し活が引いてくると、付き合いも引いていると感じた私は、電話してみた
すると、やはりSNS,私が想像していた人とは全く違った・・・
私はお相手が、私より多少は年上の30代からアラフォーぐらいの、独身ではないがあまり夫にも
関心がない人、と勝手に想像していた。でもお相手は、私の親にむしろ近い世代で、その方の娘さんと私がやりとりしててもおかしくない感じつまり、母親世代のようなものだったのだった・・・
それ以来、私はどう彼女を考えていいのかわからなくなってしまった
表面的には今まで通りにしていたが、母親世代に近いとなると、必然的に今までのようにタメで話すことは控えるし、どこか遠慮したし偉そうなこということも何もできなくなった
それに、なぜ結婚して家庭を持ちしあわせなはずの人が、ここまでしてただのボーイズグループに入れ込むのかが、理解できない、どうしてもそこは理解できないことだった
それはそのかたに限らずである、結婚できるだけでもめっちゃ幸せなのだから、旦那サンを溺愛することが、どうして多くの女性にはできないのだろう?どうしておばさんになってまで若い子を追いかけて推し活「しなければならない」のだろう?夫に夢中、家庭に夢中になれないのか?
私は冷たいことこの上ない旦那くんを世界一愛しているし彼の話ばっかしているけど・・
SNS上の友達は、人生の友達ではなく一時の「話し相手」
まあとにかく、彼女には並々ならないほどの推しへの情熱があったにも関わらず、
ある時からやる気がないな、書く情熱ないなと思うようになって、そして終わった
別に終わりにしなくてもいいんじゃないですかと言うかもしれない
でも推しに関心がなくなったから私にも関心を持たれないということは愛情を持たれないということで、愛情を持たれないということは私に対する気配りがなくなるということでもある
それって友達だろうか?
実際 私は最後に来たメールの言葉に傷ついた、 そのメールが決定打になった
それは、回りくどく言えばあなた自身には関心がない、と言われているのと同じだった
だから終わりにすることにしたんだ
それでも大事な友達〜私は泣いた
私は泣いた
泣きながら、この人とはやっていけないと思い、縁をきらせていただきますと書いていた
この方は大事な「友達」だと思っていた
でも、この人の本当の関心は、推しでしかなかったのである
特に推し達は、旦那くんの長年の先輩、旦那くんに近い存在である
こんなにそばに推しがいるということは、極めて希少なことで、「そのことは全く気にしていない」と
言っていたがそれならなぜあれほどにまで推しに関心と執着を持っていたのだろう?
私には、旦那くんが彼らと近い存在であることは、私と関係を続けた大きな要因だったと今はしっかり思っている、全く関心ないなんてありえない、本当に彼らが推しならばありえないのだ!(人の心情として)ある意味では、彼らとお近づきになれなくてもどっか関係しているようなマウント感と満足感を人に与えることは事実だろう、それは正直にいおう、私も持っている感覚だし、でも彼らが崇拝し彼らとか変わっているのは旦那くんなのだ・・・
とにかく、友情という純粋な夢を追っていた私と、推しを追っていたこの方では思いに最初から違いがあり、推しという共通項がなくなれば 私たちの関係は 簡単に終わってしまったのではないか?
現代の付き合いは「いらなくなったらポイ捨て友情」
私は今でもこの人や、すべての人に聞きたい
この関係は「簡単に人生の変化があれば、もう続かないと見るだけのやり取りでしかなかったか」と
別に友情をそこでわざわざ やめる必要もなければ 、露骨に冷め期に入る必要もないのに、
こっちにもわかるぐらい冷気を自ら作ってしまう人がいる
友達はそもそも推しではないんだから 、友情に冷め期はなく、 冷める必要もないのだ
彼女は反論するだろうが、こうした態度の変化や、私自身への無関心は、明らかに私を通して推しに少しでも近づいていたいという彼女の願望を見ていしていただけだったと思う
私には、そう見えたし、そう見えざるを得ない様子だった
だからこそ私は泣いたのである
利用されてきたのだと悔しくてではなくて、友人と思ってくれていたのではなかったと、やはり推し活おばさんの「標的」は私との純粋な友情ではなく推しだったのだと彼女自らが告白しているような状況に、悲しくて悲しくて、さみしくてさみしくて、ただただ泣いたのである
今回のことだけでなく 、今までに急に冷めて消えていった 多くの人 に私は言いたい
人の心を軽視しないでください
例えば私に至らないところがあったり不快なところがあったからというのが離れた原因だとしても、 あなた方はどうなんだ?そう自分のことも自重してみてください・・・
あなた方は自分の弱みや至らなさ、 心ない言葉、 イライラなど を私に 本当に 1回もぶつけていないと言えるのかと
それをお互いに 我慢するのも友達ではないのか ?そういうのを1回でも見ると、すぐ切ろうとする 今の人たち…
SNSやネットでは本当の友達はできない(再度結論)
再度になるが 、とにかく仲良しになったとしても、仲良しができた親友ができたと思ったとしても、メールやネット上だけではその関係はいとも簡単に切れてしまうということを、理解しておこう
ネット上は、相手もこっちも簡単に無責任になってしまう 、本心が見えにくい、素性がわからないまま進んでしまう、想像によるところが大きい、そしていらなくなったらポイ捨てできる「無責任」というボタンを押してしまえるのだということ を強調しておきたい
こうした関係は深くとも 、細い糸でしかないので それが切れれば終わってしまう
メールだけのやりとり、どんなにそれが楽しくても本当の信頼、肌感覚で持つリアルな安心感は持てない
その人を知ったことにならない
メールだけのやり取りだと、 よほど 繊細で心を大切にするというハートを持っている人でない限り 、心と心の絆は 育まれていかないし、
一時的に心がつながったとしてもそれは花火のようなものだ
それはただの言葉のやり取りだけであり、
心と心の本当の意味でのハートのつながりにはなっていかない
SNS やネット上で出会ったとしても、 本当にこれからもっといい関係を 、長く続く友情を作っていきたいと思う相手なら 、
すぐにリアルに切り替えられるようにしよう!
そして正直に、
お互いの本性、本音、気持ちの変化、苛立つことと嬉しいことの両方を開かなければ!
現代の人たちは、人を思うより自己愛のために友達をつくるの?
どうしてこう現代人は物事に簡単に冷めてしまうのだろう?
どうして 飽きたら捨ててしまえばいいと無責任に思うんだろう?
どうして人のこと、人の心が考えられないんだろう?
本当に心を考えられる人にネット上で出会ったことはない
それは今、加速している
コロナで 致し方なくネット上でしか友達を作ることはできず、 人と出会うことができなかった日々を過ごしてきた私たちは 、
文字通り ネット上の友達をたくさん作った
だろうし 知り合いも作っただろう
しかし その関係は一体 今どうなってるだろうか? その関係で本当に深い絆 と友情と愛情と 折れない関係ができただろうか?
一時期 盛り上がっても心からの話ができても繋がりは保てずにいるだろうか ?
むしろ私たちのコミュニケーションの能力は、 ネットに頼ることによって失ってしまっていないか
リアルなものをめんどくさいと言って避け、
ネットに頼ることによって、
逆に、出会いは簡単だが、別れも簡単にしてしまうようになった
私も含めて
とにかく私たちの世界はコロナでコミュニケーションを簡単にアホらしいものにしてしまった
人間関係を、安っぽいその辺のスナック菓子程度にしか扱っていない
大事に育てるという気持ちは、多くの人に失われている
友情を築くのは簡単なことではないし、 面倒くさいこともたくさんある
自分が苦しい時相手は喜んでいたり 、自分が喜んでいる時、相手が苦しかったりする
そういう時も 相手を配慮し 理解してあげなければいけない
違う意見になる時もある
すれ違う時もある
連絡がしづらいほど忙しくても、早めにしなければいけない時もたびたびあれば、 こまめに連絡を取っておかなければいけない時もある
そういうことも乗り越えなければいけない
そうしたことが、もう全てめんどくさくなれば 却下・キャンセル・スルー・削除…簡単で残酷な時代になってしまった
それは自重も込めて言ってるのだ
現代のコミュニケーションは
インスタント ラーメン以下
インスタントラーメンほどにも持たない
ラーメンは3分でできるけれどそれすらも待てないうちに終わってしまう
次々と出会っては、次々と切っていく
もうそんな人間関係は人間関係ではないし、 そういうのはいらない 、そんなものならば最初からいらない!
だからこそ本当の、真のコミュニケーションを大切にしたい
心からそう願う
涙を持って
今多くの人は愛に飢えていると言いながら、自分で愛を放棄し、 愛を腐らせている
そういう殺伐とした暴力的な世界だ 、戦争が起こってもおかしくはない
人間は退廃した
でもとにかく退廃しようが 何だろうが 、
人生の変化のいちいちで友達まで ごっそり換える必要はない
自然に離れていく時は離れていくし、 何も 工作を練って長い目でじわじわと離れていく必要などないし、 そのために人を傷つける必要もない
自省し反省し、そしてやっぱり友情はかけがえのない宝
再度になるが、今まで私にそれをやってきた多くのネット人たちははっきり言って反省してほしい、
あなた方の心はどうなっているのかと
そして私もまた反省しよう
私もまた多くの人を傷つけてきた
こりゃ合わないわ、 これはまずいわと思いながら 関係を途中で切ったり、アカウントを削除したことが 何度かあることは 白状しよう
嫌になってしまった人を感情でその場で切ったこともあることを白状しよう
私も大いに人を傷つけた悪人である
でもそれは一線を超えたと思った時だけで、致し方ないようなケースだけで、 最初から好んで切りたかった人など一人もいない
私はやっぱり 人の心を大事にしてやってきたという自分への自尊心も、 ちゃんと持っているよ