コロナの中で、続けてきたツイッターについての考察と感想
~SNSは続ける価値があるかないか?
何回か、他のブログでもSNSをやめることをテーマにその是非について、自分なりに思うことをその都度書いてきました。
SNS をやることのメリットやデメリットについて、 SNS をやる意味・無意味について、 SNS をやるかやらないかやめるかについて、の是非を自分が何かを止める度に書いてきましたが、今回もまた 思うところを書いてみたいと思います。
さて非常に順調にいっていたツイッターのアカウントでしたが嫌なことに遭遇し自分の意思とは裏腹にやめざるを得なくなりました。まあ続けようと思えばすればよかったのですが、不快だったので止めることを選択しました。でもそれ以前から実はやめることを考えていたので、休止にもしていました。(ホソクパーティーで思わず復活した)
コロナ後のツイッターアカウントはあれで4つ目ですが、4つ目も終わらせたことになります。
しかし最初の2つはどちらも自動的垢バンで突然止まってしまったもので、理由はありません。
3番目の垢はやる気がなくなりすぐとめて、今度の4つ目は、あまりにコロナが長引くので、もう一度再開してみた、という感じです。コロナ前は、そもそも SNSからはだいぶ離れて久しく、 私はブログをたくさん持っているので、ブログを書くだけでも精一杯 でしたし、ブログの方が今は信用されるのでクライアントさんとの出会いはすべてブログ・ホームページからです。プロジェクトについて書いて仲間に見てもらうこともありますし、セッションやレッスンを受けてくださるクライアントさんのためにレッスンの補足資料として記事を書くこともありますし、かなり仕事に関連したブログばかりなので、楽しいながらも真剣に書かなければなりません。
ブログは自分のサロン、スタジオそのものでもあり、創作するのは楽しい作業ですがかなりの労力と時間がかかります。記事もまとめていくのに時間がかかります。
コロナ禍で自分を持て余してる時に、なかなか物事に真剣になるっていう事も、記事の内容をまとめるのも、なんだかだらけモードになってしまい気合が入らず、難しくなってました 。何もストレス解消になるようなものがない中、ステイホームでそれが自分を不活性化させてしまいました。
そんななか、 140文字だけで良くただつぶやいていればいいツイッターというのは、いかにも楽にとっかかりやすそうだったので、気軽に始めたのが最初です。
本当にリアルが充実していればSNSは自然とやらないもの
最初のツイッターはというと、実はその前にも私は学生時代から20個ほどのTwitter アカウントをやってはやめてきました笑 。なぜ20回も挫折したかと言うと SNS でこれを通してお友達を作ろうとか考えていたんです。その気持ちはいつもありますが、武術の仲間や茶道仲間、ジャズバンド仲間などを色々探していて、たしかにそれで仲良くなった人は過去に何人もいます。
それでも、アカウントの記事やツイート自体は、全然見てくれる人いなかったです。
友達にも極力告知して、それでも人は集まらないし、友達とは「いいね」のいいね返しをする「義務」があってお互いに大変でした。だから話し合って、いいねし合わないようにしようねって決めてたこともあります。
それに大学時代などはやりたいことがたくさんありそれらに夢中で、いちいち書きたいという明確なテーマも別になかったので。リアルが本当に充実していれば、SNSには自然と興味がわかなくなるものです。またリア充なら、書くことが沢山あっても、書く時間がまずそもそもないですし。でもあの頃は確かにリア充最高調!!でしたが、やりたくなくなった理由で一番大きいのはやはり、アクセスのなさでした。
チラ見したり人、通りがかりの人が来てみてくれる程度で、平均でアクセス23個ぐらいだったでしょうか?
アクセス10とかが普通にありました。
ツイッターなんてそんなものだと思いました。バンバンリツイートされていく有名人との格差を感じ自分を情けないと感じやめました。SNSのデメリットの最大のものはこれです、つまり余計に「自分に自信をなくす、自分なんか誰も気にしていない、価値のない人間なんだ」と思わせてしまうところです。実際にはそんなこと、まったくありません。たかがSNSなんですよ。リアルな人生のほうが、100億倍くらい,いや比べようがないほど大事です。
人はハートであって、愛情であって、それ以外でその人を計ることは無意味だと断言します。それ以外のものばかり社会は追いかけているけど、今一番なくなっているのは、愛です。愛情です。思いやりです。心です。💖ハートです。
やめて意味がないことに気づくSNS
ただ、フェイスやインスタなど他の SNS は結構うまくいっていたので、人との出会いも多く、そちらの方がよほど仕事などにも直結し、部活なども作り、読書会もやり、また作品なども紹介できるという意味で世界は広がりました。でも結局、いわゆる SNS 疲れを感じ、思い切ってすべてやめました。
そしてやめてみると、SNS ってあまり意味がないっていうことに気づきます。あの頃はSNSも、まだまだ人と人が出会うばとして積極的に機能していたし、荒らしや、ロマンス詐欺や、ネットビジネスや、ディスりする野郎どもなどは、ほぼほぼいなかったのです。
フェイスブックをやめたわけ
特にフェイスなどでは本気で真面目な記事を掲載していたので、それを読んでクライアントさんになってくれた方々とは今でも付き合いがあります。また記事に感動したとかためになったとか、他に掲載させてほしいとか、たくさん褒め言葉もいただきました。
それでもフェイスブックを止めたのは、やはり外から入ってくる情報量の多さ。
見たくもないのに、フェイスブックなどは日毎に自動で出てくる広告の山。
また次第に友達と称して商売してくる人もチラホラ出てきていました。また、人とつながればつながるほど、いいね!をしあわなければならないことに苦痛を感じていました。
今思い出しましたが、フェイスブックで仲良くなったある人とやり取りしていてたのですが、その人はマメにいいね!してくれる方でした。でも私は人のフィードを見ることにすでに疲れていて、彼の記事を読まないし、なんかリア充系だし、うざい記事を書く人でいいね!しようがなかった。
どうでもいいね!です。だから、自分も一生懸命応えようとしていいね!してきたのを止めたら、あっという間にアカウント削除されてた。。。
そんなことで?ってあの時はあほかと思うほど苛立ちましたが。
そういうことが疲労になっていったわけです。
多くの「友達」アカウントを、いちいち読んで、好きになった記事を選びいいね!する気ももうなくなっていたので、正直、もう全員のアカウントを一気になんでもかんでもいいね!する時間を作って、見もせずにかたっぱしからいいね!しまくって、という作業をしていたこともあります。内緒ですよ笑。
また、第一フェイスブックなんかはほとんどの人が自慢、リア充を見せるだけのために使っていたとしか思えません。インスタは自分のセレブ度合いを競っている完全装飾虚飾の世界。でもそういうことでもまた自分なんかダッサイ人間なんだと思わされました。そういうのも疲れた。
ツイッターをやめて見えること
でも、いったんSNSを止めてみるとなんてこともないのです。
どこがダメ人間?あんなのに夢中になっている方が廃人じゃん、って気づくのです。ダメ人間なんかじゃないし活動的に個人的に動いていると、キンキンしたインスタみたいに、それを意識させられる機会もない。ホームページは完全に自分の世界ですし。
でもSNSにいると、結局皆が幸せ度を競い合っている、その窮屈さと人間の醜さを感じました、自分も含めて。
でもそこでえた友達もいますし、SNSで得た縁は希少で、彼らはとても貴重な友人ではあります。
もはや今のSNSでは、人との繋がりができない
しかし今、SNSではそう滅多に友人ができるわけではありません。 かつてSNSはもうちょっと純粋なものだったと思います。
広告がガンガン出たり友達を装った悪徳業者が現れたりすることもあまりなく、いや全く無く、荒らしが来てディスられたり悪口を言われたり心ないことを言われたり、誹謗中傷やそれ以上のヘイトや差別など人権に関わるような深刻な傷を受けたりするようなことは、ほとんどほとんどなかったですね。
ところが最近SNSは世の中つまんね〜みたいなヤツらが這い回っていてまるでそういう奴らはゾンビのようです。しかしトランプが平気でヘイトなことを言う書くようになって以来、ツイッターは、またSNSは、ゾンビ化した心ない者のための暴力の巣窟になっています。
またそのせいで、人と友人になろうとしたり、人を集める活動を告知するために使おうとすると、それがお金が絡まない活動であってさえも、怪しまれるだけです。よって、SNSは今、仕事にも集客にもまた友達作りにも仲間作りも何にも役に立ちません。そういうことを目的にすると、すぐに怪しいやつと断定されたり避けられたりします。つまり、SNSは人と人が出会う場ではなくなってしまったということです。
今「流行りの話題」のせいなのか、今回の嫌な件でも、宗教か?と言われ酷い思いをしました。なんの具体的勧誘もしていないのになぜそんな心外なことを言われるのだろうと思っていたのですが、最近そういうことがメディアで盛んに取り上げられているからか~と後から思いました、何でもそういうふうに見えるんですね。
まあ気持ちはわからないではないです、個人で誰かを集める場合、やっぱり警戒はされてしまうし、こっちもしてしまう世の中です。
私も誰かから声がかかると、仕事の依頼でもまず詐欺を考えます。この間もあるアジア国からの大きな仕事依頼があり、しばらく話し合っていましたが、なんだかおかしいと思い、関係をきりました。
そう、容易に人にアクセスできない時代なので、SNSっていっても、要するにただ書いているだけでちっとも人間と人間とのふれあいはなく、リアルな付き合いにも発展せず、つまり何にもならないのです。
そう、何にもならない。 SNSはもはやある程度のお金があればそれなりの広告ができる場であり、あとは全部自己満足です。完全に自己満足の世界になっています。
大手企業などでは広告を出してそれをユーザーにインプットさせるという目的を果たせるかもしれませんが、多くの人は別に広告のためにやってるわけではないですから。
本当に人が求めているのは愛情や繋がり
広告ではなくて多くの人の求めることは繋がりではないでしょうか?
私も同じような思いを持ってる人、同じような思いじゃなくてもきちんと向き合って話せる友達が欲しかったわけです。でも今は SNS にそれを期待することは無理だと本当に痛感しています。
この4つのTwitterによって本当にそれを痛感しました。 世の中が荒廃し本当に人間性を失っていく中で、さらにコロナや戦争などが大きく人に影響し、人が憎しみ合うのがまるで当たり前みたいになってしまっています。それでSNSはますますタガがはずれ、暴力的な要素が強くなっています。
SNSはやめにくいがいざ止めるとその不必要性を実感する
だから結論から言うと私は SNS は何の意味もない、何の効果もない、何か目的があったとしても何も達成できない、リアルに繋がらない、意味なしツールです。
でも、一度始めるとなかなかはなれられないでしょ?まず承認欲求が得られないという寂しさみたいなものが自分の中に巣くってしまっている。フォロワーさんが多い人たちは、彼ら「友人たち」を失うということに踏み込めないでいる。書くことで発散したり楽しんできた時間がなくなる。むなしくなるのではないか?と🤔考える。
ところが、一度止めてみると実はすっきり、なのです。
先にも言ったように今やSNSは自慢しあうかディスりあう世界で、友情や絆を築き合う場ではなくなっています。つまり人間として本当に満足できるような喜びは、そこにはもうないのです。
SNSは、友人ができたように感じても、実際にはやめてしまえば1秒で忘れ去られます。そもそも、アカウントがあるときから、よほどのことがない限り、その人のことを真剣に考えている人などいません。「アカウント」「情報」としか見ていない人がほとんどだと思われます。だから、絆なんてなく、止めてしまえば関係も消えます(たいていの場合、今は)
それよりもコツコツと良心的でそしてまた内容のあるホムペブログを書いたほうがよほど良き友人やクライアントさんや仲間や同業者と出会うことができるでしょう。経験上私はそう思います。
ただ Twitter の魅力というのはやはりその140文字。気楽に書いてつぶやいて、セブンイレブンの新しいコーヒー美味しいかまずいか書いて、ただそれで持て余していた自分を発散させることができるのですから、楽にできるもので気分転換にもなります。
コロナ禍という苦しみは、SNSを必要とさせる
先にも書いたけどなんでずっとやっていなかったツイッターが必要だったのかと言うと、もう100%コロナが理由です、原因です。 コロナがなければツイッターやってないでしょう。その前はもう存在すら忘れていましたから 私には全くもってあわない SNS だと思っていましたから。
でもコロナになってしまって、友達にもクライアント仕事の先の人いろんな人にも本当に会えなくて、おしゃべりができないわけです。おしゃべりでしないと私生きていられないんで・・・
おしゃべりするために生まれてきたようなもんで笑。
カフェにみんなで行っておしゃべりするのがもう何より楽しくて一番大好きなことなので、コロナ禍はもう私にとって本当に限界でした、コロナは限界でした。
だから誰かと喋るような気持ちで、持て余すエネルギーを何とかどっかにぶつけるためにもツイッターは楽しく、辛いことを一時的でも忘れさせてくれて、書きたいことをかけて、しかもとても楽にかけるものでした。
ツイッター4つのアカウント
それで始めたんですが、コロナ禍の中での、第一個目のツイッターアカウントは、その頃中国ドラマファンの間で流行り始めていた陳情令についてひたすら書きました。 私の専門です。武術、武術指導、武術動作専門戦術、、陳情令がモデルとしているであろう流派に属していますから、書くことはたくさんありました。
ドラマのひとつひとつ丁寧に説明し解説しながら、良い点やダメ出しなどして自分で楽しんでました。 誰も見てないと思ってたのでアクセスも何にも見てませんでした。
フォローもフォロワーもなしでやっていました。IT関係の専門をしている知り合いの人たちからは全員に、指摘されました、「そんなことやっても時間の無駄だ、 それで友達作り 集客 誰かと繋がることさえ多分絶対できないと思う、というより誰も読まないと思うよ」と言われました。
「無名のフォロワーなしの人のアカウントを読んで欲しいんだったらば嫌でも何でもとにかく100人1000人とフォローして、フォロー返しして、いいねいいねを押しまくって!リツイートして!そうやって自分を知らしめて、誰かに気に入られて。そうしないと誰も注目しない」と大体のIT関係者は私にアドバイスしました。そしてみんなにやめろやめろって言われました。
が、でも私はコロナでもう耐えられなかったので、やってました。 正直いいね!なんてどうでもよかったんですね。フォローも一切しないし、フォロワーもいなくて全然いい。やるのは自分のためです、自己満足。
ツイッターにはアカウントアナリティクス、分析の項目がありますがそんなのがあるのことも知らなくて 誰がどれだけ読んでるかも知らんし、インプレッションとかそういうのもよく分かんなくて笑
全然知らないで、200ぐらいのツイート数になった時に、偶然自分のインプレッションを見るボタンを押したんです。そしたらなんと500ぐらいのインプレッションがありました。
私のツイート見ている人がいるではないですか!何のプロフィールもなくフォローもフォロワーも0なのに 私は自分というよりも陳情令の流行がいかに大きいかということにその時気づきました。 それ以来、陳情令のファンを想定してツイッターを書くようになりました。
そしてまた武術仲間ができることを祈りながら書きました。 今までに学生時代から考えても20個くらいのアカウントを作っては止め、を繰り返していたのですがいつもアクセスは15ぐらいだったのが今や、500から800、1500ぐらいまで行くようになりました。
相変わらず友達などはできませんでしたが、それでも読んでくれる人がいるということはいつか誰かと友達になれる可能性があると思って書き続けていました。
単純に読んでもらえるということは嬉しいことだったので続けられました。 それに何しろ私は陳情令の大ファンで書くことは山ほどあったんです。この武術をやってる人間にしか分からない専門的な事もかけたのでそういう解釈が珍しく読んでくれた人が多かったのだと思います。
ほとんどの陳情令に関するツイートというのは動画や画像、イラストなどファンサイトのようなものでほとんど100%占めていましたので陳情令のドラマ制作の方法論や武術仙術動作を解説するようなものはなかったからです。
最初の陳情令ツイッターアカウントが突然の垢バン(BAN)
そして陳情令をツイートするのは気楽で簡単に出来たので私にとっても楽でしたし 楽しみでした。しかしある時突然私のアカウントにアクセスできなくなります。そしてバンされていることに気づきTwitter に申告しましたがなかなかこれが修復してくれません。
最後にはツイッター 社が別に問題はなかったが自動的に BAN されたようであるとかなんとか言って、アカウント復活させてくれましたがその頃にはもうやる気なんてないですよね。こんなに休んでしまったあとだから。
そうしてアカウントをやめたのです。しかしほどなくしてまた陳情令について書きたくなり再開しました。
すると今度はもう最初からインプレッションが500 くらいでなんと驚異的に200ツイート近くなってくると思うもうすでに10万件ほどのアクセスがあったのです。
これはもう陳情令ブームが最高潮に達していた時だったのとシンクロしていたからだと思います 。それにしても驚きでしたかなりびっくりしました。陳情令のコアなファンかなり日本にいるとわかりました。
それでもまだ漫画小説アニメは入ってきてませんでしたので本当の ブームと言っても限られたものではあったのですが、それでもそのコアなファンは絶対的なファンでした。BLファンもかないりましたが、BL嫌いな私は、あえてそれは視野に入れず、ひたすらドラマだけにフォーカスしてツイートしていました。同じ武侠仙術系ドラマが好きな人たち向けに書いていくのは楽しいことにした。
挫けず再始動した新・陳情令ツイッターまたまた垢バン
しかしこのアカウントもまたバンにあいます。 これは今度は私が何度も パスワードを1日の間に変えたというのが原因で BAN されたので仕方ありませんでした。
どうしてもパスワードがしっくりくるものがなく何度もいじっていたら BAN されてしまったんです。
パスワード変更については気をつけてください、今更ながらですが。
またバンにあったかと思い なんだかツイッターに嫌気がさしてしまってやめることにしました 。しかしそれでもコロナは収まりません、長く続きます、仕事は減っていきます、時間を持て余し、友達と会えません。
いろんなことを話したいのに友達に会えないことが何よりつらかったです。
それでやはりそれを何とかして 乗り越えるためにまたツイッターを再開することになります。。。
しかし私はもう2度のバンにあっているのでどうせ消えるだろうっていう気持ちで、寂しかったものの、乗り気ではなかった面もあります。
書人の情熱や意欲は 読む人に伝わるもの
3個目は、最初からやる気がないツイッターでしたので、 やはりそういうのものって出してなくても伝わるものなんですね。
今まで 平均3000ぐらいのインプレッションを取ってきたアカウントでしたが、今回は BTS について書くことにしたのですがほとんど 読まれることなく、だいたいインプレッションは200ぐらいで止まっていました。
実は陳情令ツイッターの頃、まだKPOP関連の仕事に戻るつもりまんまんだったのでかなりのグル動画をチェックしていました。またBTSのダイナマイトが出て世界的人気がいよいよ不動となりつつあり、そこでちょっとツイートしてみるとかなり好評だったのです。
でも3個目のアカウントは、私自身も書く気がなく書くこともだらだらとして、何より情熱がそこに向かなかったのです 。それで読む人もいなくてすぐにやめてしまいました。
あのアカウントはきっと誰も記憶にないと思います。 霞のように消えたアカウントでしたがまた私はツイッターを再開します。
BTSの激動の時期を、正直に綴るアカウントを作る
これはちょうどコロナがひどい、オミクロンがひどい状況になっていた時、自分でもどうしようもない閉塞感で、何かしないといられず、4回目のアカウントを作りました、 もうコロナに散々悩まされある意味コロナがあることが当たり前になってきてしまっていました 。
コロナがあることに苦しんでいることをもう超えて、超越してしまったって言うか笑
苦しみがあっても苦しむだけ苦しんだのでもう慣れてしまったと言うか。。。
コロナがなかった頃の生活ってなんだったのかももうわかんなくなっていました。
なんて言ってるけどやっぱりリアルに戻りたいですよ私はリアルな人間です。
とにかくあまりに感染者が多すぎるのでこれはもう数年かかると言うか、もっともっとかかるしこれあまりに増えすぎて外出する人もいないぐらい街は閑散としているようなそんな時でした。
私もさすがにいろんなことを控えて何かSNSをやるしかやることがありませんでした。
ブログを書く気にはどうしてもなれず、仕事も散漫に。
でもその頃にはもう陳情令について書く人はものすごくいましたし、ファン層はアニメが出てから変わりました。
陳情令は第3次ブームに入ってからは、押しの主体は純粋な中国武侠ドラマ好きではなく、アニタク中心となっていましたので話題も変わっていました。ちなみに私はBLは好きではないので、原作は避けていましたがアニメファン層からは完全に原作優先となりました。また中国の推し活禁止によって、俳優さん押しツイッターは減った感じがあり注目すべきはドラマではなく、他のメディアや原作のほうが主流になっていたのです。
それでも今度は情熱と気合いが入っており、情熱をもって BTS について書くと決め、 BTSやKPOP 専門ツイートとして開始しました。するともう最初から500ぐらいのインプレッションが来てあっという間に1万とか3万ぐらいのアクセスは日常的になっていました。
あっという間に100万アクセスぐらい入っていたと思います。もうアクセスを見る必要もないぐらい何百万というアクセスが 募っていました。1つのツイート インプレッションを見ればだいたいそれは計算できました。
バズるようなツイートもいくつかありました。 前回も BTS について書いていたのに、なぜこんなに変わったのかは私にも分かりません。
ただ4個目のアカウントでは情熱を持っていました、本気で BTS についてまた K POP について伝えようと思い、いろんな角度から BTS について書きました。
本音を書きました 、正直な思いを書きました 。そしてまたちょうど BTS が 変化の荒波に揉まれていた頃です 。アメリカ進出して色々コラボして、不自然な行動が増えジョングクがディスられまくっていた頃。
それでもなぜかホワイトハウスに行ってみたり よく分からない事をし始めたり 。
そして、これはもう駄目だなと私が思い始めた頃、だめになる前にジョングクに会おう、会って話そう、BTSととことん話そうじゃないかと決意していました。それで元旦那さんにお願いをして、なんとか会えるよう取り付けてくれと言い合っているうちに、韓国でコロナが大爆発し、 BTS どころじゃなくなってしまいました。
沈静化したものの今度は日本で大爆発。そして 彼らがお休みを取り、お休みを取ったと思ったらいきなり休止宣言をしました。 休止宣言をしたと思ったら今度はソロ活動宣言に代わり、今はソロ活動へと向けて着々と準備が行われているわけです。
ブログでもSNSでも、読まれるのは時勢とシンクロしたもの
そうした BTS の激動の時を私は逐一考察しながら書いていました。 それが時勢にまたシンクロしたのかもしれません。 前の記事にも書きましたが Twitter のアカウントでフォロワーを無しで無名な人間が いきなり Twitter に出現してアクセスをえるには、時勢とシンクロしている必要があります。
と言うか時代の傾向方向とシンクロしていればツイートはどこまでもインプレッションアクセスを上げることができます 。逆に言えばどんな有名人が書くことでも 時代性のないものであり一貫性のないものだとファン以外は見ることはありません。 そして反応もファンだけでファンだけのファンサイトのような形になります。
それはそれで別にいいのかもしれませんが本人としては広がりはないでしょう。
そういうわけで私は自分が意図せずして好きだった陳情令を書き、次に愛している BTS や K POP について書いてそれが見事に時代とマッチして、完全にマッチングしたのでぴったりと適合したことによって 大アクセスヒットにつながったわけです。
これは全く期せずして起こったことでした。 そして私は一線を自分の中で決めていました。
自分はKPOPに片足突っ込んでいるだけとはいえ、 K POP に関わったことがあり、BTS や K POP、韓流スター、アジアのグループなどの人達を程度の差はあれ知っているわけで韓流スターの個人的な写真もたくさん持っています。
一度アカウントへのアクセスが良くなると、人間というものはもっともっと、と思ってしまうものです 。なんとかもっと アクセスが 上がる方法はないかと 、センセーショナルなことを書きたくなってしまうものです 、少なくとも注目するような事を書いてしまいたいという欲求が出来てしまうこともあります。
また BTSメンバー 自体が言ってるように、上がりすぎてしまった注目が下がっていくことは怖い、その時自分はどれほどダメになった野郎扱いされ批判されるのだろうかと考えると 一瞬も気が抜けない、と いうのは個人でも同じです。
ついつい自分が注目されたいと思い始めた、そのエゴを解放して、いろんなこと、あることないこと書いてしまわないように常に気を払っていなければなりませんでした。
そして常に気を払っていました、一線を超えないと。 そして彼らのプライベートに払拭することがないようにしながらも BTS や K POP の本質の部分をなるべく伝えられるようにと工夫してきたつもりです。
「ただのファン」だといじめにあう、SNSとファンダムの荒廃
そして前にも言いましたように、私は他のSNSやオプチャでBTS について書いた時、散々ないじめ、集団いじめに遭いましたので、その傷心、心の傷はまだ癒されることはなく、うーん、まあ癒されたかな、あんな低レベルの程度のものだから笑
とにかくそれがあったため、あれ以来自分の経歴自分の立場自分の旦那の自分のプロフェッショナルな部分全部ちゃんと書きました。一度プロフィールにちゃんと書いておけばいじめにあうことはありませんでした。
しかし何も書かないでただのファンであるようにしていると、アーミーたちのいじめの標的にされます。アミにはおそろしい者もいますので、気をつけてください。
BTS の世界は特殊です。 アーミーは激しい人たちが多いです正直。
そもそもが事務所がビッヒの時代から激しい。オーナーは何だかやさしそうに見えますが激しいタイプだと考えられます。激しい戦略でまるでゲリラ奇襲攻撃のようにして売りさばいてきましたからそれに乗っかってくるファンも激しいゲリラ的なファンが多かったのです。
そして彼女達はあまりにも嫉妬深く、そしてまた攻撃的でしたので私は自分の肩書きを言わないで書いていた時は本当にひどいことを何度も言われ、叩かれまくりました。ので、もうそういう思いは絶対にしたくないと嫌が応でも自慢するほどに、自分のプロフィールや経歴を書きました。あまり書きたくはなく、一ファンとしてだけで良かったのですが、それではいじめにあう。
自分を守るためにとった策でしたが、もう肩書を出してしまった以上、逆に専門家として書くようになっていました。
そうするとたちまちのうちにそういうゲリラ的な人間は後ろに下がります。そして何も言ってきません。
まったくそういう世界です、BTSファンの間にはヒエラルキーが存在します。
ファンのヒエラルキーのトップはおそらくアミのマスターでしょうが、マスターなんて BTS を直接知っているスタッフや家族同然に付き合ってるスタッフにとっては何の意味もありません。BTSはチームで作っているものです。どのグループもチームで作っているものです。制作が優秀であってはじめてアイドルも輝くのです。制作の人たちはほんとに偉いのです笑。ほんとにすごい才能の集団です。
マスターにさえそうした特別な専門スタッフは頭が上がらない存在なので、うちの旦那のように韓国政府からも信頼を置かれ文化事業を引っ張っていくリーダーの一人として 、そしてK POPや BTS を率いているような人間がバックにいる場合 、それを知れば誰も何も言ってきません。
うちの元旦那なんかはほんとにこわいですからね~怒ったら、もう容赦ない人ですから。ファンには優しいですけど、正義にはうるさい人です。
その代わり彼女たちは、今度は私を必要以上に恐れて 近寄ってくることもありません。近寄ってくる人たちは、超遠慮がちに、相談してきます。そのうち、私は良心的なアーミー達の相談役になっていました。その関係には、少なくとも彼女たちにはヒエラルキー意識があり、友人にはやはり、なれません。
だから私の意に反して肩書きを出すということは自分を守ることではあったのですが、今度は逆の意味からまたしてもお友達は出来ないという状況になってしまいました 。
また韓国人に 関してももっとひどいヒエラルキーがありそうです。 韓国の ARMY は やはり競争社会である韓国で生きてますのでヒエラルキーを作っています。そして自分たちよりも上の存在であると思ったら寄ってはきません。
それに加え BTS と繋がりがあるということはそれなりのスペックを持った人間だという風に勝手に解釈します。韓国の若い世代の意識には、スペック主義の韓国ですからスペックが同じレベルの人間としか付き合わないという極端なところがあります。 そこで彼らは BTS と付き合いがあるような人間はスペックが違うという風に判断して BTS のファンじゃなくても私と友達になってくれる人は いなくなってしまいました 。皮肉なことに、友達はBTSだけ笑となってしまい・・そうでした。
今まではいろんなところに友達を作ることができたのですが BTSレベルのトップスターを支えるチームにいるような人たちは、みんなエリートです。超学歴社会の韓国ではエリート層が勝ちなので 、文字通りのエリート人としか会うことがなくなりました。
ただし、ヒエラルキーは他のグループでもあるでしょうし 、他のヲタ活推し活、そしてありとあらゆる分野にあると思います。
BTS のヒエラルキーは確かに特殊であり強固でありそしてまた暴力的ですし、私はマスター制度をなくすべきだと思っています。 誰も偉くありません、別に古参新規などという区別はありません。
いつ好きになろうが嫌いになろうが勝手な話なのです。彼らの心の内など誰にもわからないのです 。特にファンはメンバーについてものすごい情報を持っているかと思えば、全然韓国文化というもの、彼らの心の底にあるものを理解していないと、愕然としたことは何度もあります。
だからヒエラルキーなんて、要するにトレカの枚数で測ってるようなもので何の意味もないのです 。
それなのに、トレカの枚数やライブに行った回数や 、特別なファンミーティングやら公式 ファンクラブの会員かどうか、古参か新規か、ダイナマイト勢かどうかなどで、威張ったり偉そうにしたり、新規ファンを下のものだとみなして批判したり蹴落としたりしている馬鹿どもは、本当に BTS にとってもじゃまな存在でしかありません、 彼らのファンがタチが悪ければ、彼らのイメージもまた悪くなるのが当然ですから。 はっきり言えばアミでもなんでもないんです。
横にずれましたが、とにかくヒエラルキーはどこにでも存在し SNS はそれを作りやすい環境なのです 。
例えば私は武術のオプチャにも入っていましたがそこには日本武道に固執する人たちがいて、中国武術を、中国が嫌いだと言ってひたすらヘイトスピーチされ叩かれました。
なんとひどいことでしょうか❔❔
また国際貢献をしているはずの日本語教師のグループでも、厳然としたヒエラルキーが存在しています。 特に今は仕事の取り合いですから競争と嫉妬のために先生たちははっきり言って頭がおかしくなっているのか?と思うほどです。
お互いに 経験や知識をマウントしあう。 注意してもらい、他の新しい新米先生にアドバイスしているように見えて、 偉そうに指導したり教え方をある意味洗脳したりしています。
日本語教育とはこうあるべきだぞ、とか。
それらは大抵古いやり方なのですが、それをさらりとでも指摘すると激怒します。
そして自分たちがいかに優秀でベテランであるかを自慢し、 下に語り、常に上から目線でちょっとした文法の間違いや軽い言葉を話すと、それは日本語ではないとか、日本語教師のくせにそんなことを言うのか、とかいちいち言ってきます。 そこにはインバウンドが壊滅状態であるコロナの この 時代の中で生き残らなければならないという焦燥感と、 見捨てられたくないという思い、そして ICT 化オンライン化についていけないと言う 決定的な劣等感があります。
本当に困ったものです😅
策を練ってヒエラルキーとは無縁になる
まあでもとにかく私はこれまた期せずして、このヒエラルキーの一番の上部にいる存在として見られ、ダイナマイト勢は出て行けとかファンになるなとかって散々なことを言われたりしてたのですが、もうそういうことは皆無になって、
書きたいことを書けるようになったということは、良かったことでした。
とにかく、書きたかったからです。いじめにあうこともなく、とても楽で 非常に心地の良い状態でした。それに自由を感じましたし、嫌なゾンビたちから解放されました。
本当に散々いたはずの暴力的な、歯向かってくる人などすっかり消えたのです、全くこれも不思議なことですし、何が効力を持っていたのでしょうか?ジョングク(冗談)。
そういうわけでこのアカウントは誰からもいじられたりディスられることなく とにかくアクセスは何万と上がっていくばかりで 、そうやって承認欲求が満たされると嬉しいではないですか?誰かが読んでくれると思うと嬉しいではないですか?私はとにかく策を練って自分を出し、そして嫌なヒエラルキーから自由になり、それではじめて、SNSで書きたいことを書けるようになったのです。
今の時代、SNSで生き残るにも知恵と勇気と体力がいります。また心の強さもいります。
でも読んでもらえる、それだけでも小さな喜びですので、ツイッター自体は好きではないし読まない、 SNS 自体は好きではないとか疲れるとか思っていても、私は書き続けていました。
楽しいけれど疲労がたまっていくのがSNS
しかし私の中で、 私の心の奥底で疲労がたまってきました 。表面的には楽しかったのですが心の奥底ではもう BTS に関してプライベートに払拭するかもしれない、事務所に何か指摘されるかもしれないと思いながら書くことに疲れていたのです。 また元旦那から何か書いてんだ~と怒られるかもしれないというのもありましたし、 他のグルアーティストたち から何やってんの?と言われるかもしれないとか、いちいち毎日そういうことも気にしていました。
先にも書いたように BTS のメンバーには全員私がこのようなツイートをしているということを伝えていますし 彼らは誰も反対しませんでした。否定的なことも、正直に書くと宣言しましたけれど、誰も、否定しませんでした。快諾もしてませんけど。
でも、正直で思うままのバンタンを私は書くと言っても、彼らは寛容だったといえます。まあ、そういうところがBTSの好きなところです。 けれどもだからってあまりプライバシーに払拭することは書けない。
だけどプライバシーに触れるようなことこそ彼らの本質であり、また BTSは 随分誤解されている存在ですからプライバシー的なことも書きたかったのですが、それができない。書きたい気持ちや伝えたいことがあるという使命感と、書いてはいけない倫理観や配慮、 そういう板挟みにあっていました。そういうのにも疲れていたということです。
ソロ活動後のBTSの失態を見て・・書けなくなった
更に 追い打ちをかけるような出来事が起こり始めます 。BTS の醜態がもう私には目を覆いたくなるようなところまで来ていたということ。
この4回目の Twitter を始める前に、私は BTS のある節目を見つけだしていました。
多くのアーティスト、多くのアジアンボーイズグループたちのとの付き合いやプロモ作業に関わってきた私は特にKPOPボーイズの気持ちを見なくても会わなくてもすぐに見抜いてしまうところがあります。直感的にわかるのです。
そして去年の秋、ジョングクにとうとう異変、これを逃したら永久に変わってしまうぞというサインを見ていました。だからこそなんとしてでも、意見して話し合い語り合いこれからを真剣に考えていかないと彼らは崩壊する崩壊する寸前になってしまう、崩壊が開始されてしまうと直感していました。
だから何とかして彼らに会おうと、ジョングクに会おうと して 元旦那に頼みました。なぜここまでジョングクにこだわってきたのかもわかりません。彼がイケメンだからでしょう。というのはジョークとして、どうも彼がカギになると読んでいたのです。ユンギでもジミンでもナムでもありませんでした。まず会うべきは彼だと。
しかし元旦那にせがんでも、彼は渋っておりあれこれ言っている内にコロナの大爆発が起きてしまったわけです。
その後のことは見たとおりです。私が思った通り、彼らは休みに入り、そして続けて休止し、休止休止といいながら今度は精力的に何故かソロ活動に入っています。そして一度BTSという偶像を脱ぎ捨ててみれば、もうタガが外れがかっています。
すでに今までの間だけでも醜態をさらしています。まず休止しますというお伝えをする時点で、非常に重要なことでファンを悲しませることであるにも関わらず、彼らは半分酔った状態で「飲み会会見」みたいなことをしたわけです。
やはりこれに対しては大きな批判があったようですぐにスーツに着替えてナムジュン筆頭に、真剣な理由を言って休止を宣言、でも反応が大きすぎ慌てて 休止を 中止?にしてソロ活動といいかえましたが、またこれがソロ活動になるということで大きな反応をもたらしました。
彼らは、本当に、偶像としてのBTSを休みたかったのだと思います。 彼らは本当に BTS という大きな巨大なものをから抜け出したかったのだと思います。
でもその一方で自分たちが自分たちらしくいられる自然体の BTS でいたかったのだと思います。
7人でこれからも一つのものを作っていきたいという気持ちはずっと変わらなかったと思います。
しかし今無理無理にやらされている偶像としての BTS はもう散々だと、疲れきって限界に来てしまったということを言いたかったのだと思います。
それをえんえんと強要されるわけですから彼らは休むしか選択肢がありませんでした 。
つまり別に休止したいわけではないのだけれども、休止という選択を選ぶしか、偶像崇拝を避ける方法がなかったということです。
ところがその休止が大きな衝撃を生んでしまったために 急遽ソロ活動という風に名前を変えて、もうそれからはソロ活動ソロ活動と強調しています 。そしてこのようなことが起きることを想定していたのでしょう、 ずっと前からこの時のために準備はありました。 きちんと準備されていいた一人一人のソロ活動は、一個一個ソロデビューという形で始まりました。
それをいわゆる第2章とファンは呼ぶようになっていますが第2章どころではありません。
私から見れば酒が入った状態で、あんな会見をした後に中止だの休止だのソロだのといい、何だか何をしたいのか焦点の定まらないことをやり始めた。
そして まず最初に J HOPE を売り出しにかかってるわけですが、それも極めてださい方法で彼を注目させるためにパーティーなど開いていますが、まるでそれは竹の子族のファッションで オワコン人をかき集めて行なっている無理無理ゴリ押しゲリラ襲撃パーティーです。
彼はイメージを大きく変えた姿でソロデビューしました 。しかしこれがまた批判の元になり ファンをがっかりさせました 。あのような姿は見たくなかったというのが大方の意見です。
それでも J HOPE を見たいというファンもいますが、やっぱりああいう J HOPE はやだなという風に思う人が世界的に見れば多いと思いますので、多分イメージチェンジはもう一度再やり直しとなるでしょう 。 もしくは戦略的にイメージチェンジを何度も繰り返して行くつもりなのかもしれません。 あまりそういう事はやりませんが そういう激しい戦略を取る事務所ですから。
もしくはもう嫌だなと思いながらも慣れてしまうことってありますよね? そうやって今のホソクに慣れができると、それが一つの彼だというイメージとして定着して行くかもしれません。
ただ最初に悪い印象を残してしまったのは事実 。
とにかく、こうした一連の騒動があり、やっぱりな、と思うと同時に、もう BTS という存在はないんだな、と思いました。
話は長くなりましたが、今の状態での、そしてあの会見での 彼らのソロ活動はいいこととは思っていません。
そもそも事態は彼ら自身の望んでいることではないので、どう転んでも無理に営業させるのは失敗だと思っていますし、だからこそすでに酒のみ会見からヤケになっていたのかもしれません。
それについて私があれこれ言うこともバンタンというものが「ない」以上、もうないですし、その権利もないですし、彼らの今の在り方やり方にそもそも関心が持てなくなってしまったのです。
ソロとしてどうなるか楽しみなんていうのは別にありません。
もともと彼らはそれなりにソロ活動をしてきました 。ほとんどソロだと言ってもいいような楽曲もBTSのアルバムには少なからず度々入っています。
J HOPE は自分自身のソロアルバムを出しています。ソロをやろうと思えば BTSをやりながらでもいくらでもできるわけですし、してきたわけです。
今更何々をソロ活動と呼ぶのか私にはよく分かりません。 それにそもそもの問題はこれで解決しません。 彼らは今の自分たちの置かれた状況が嫌だと思っているわけですから、そこを改善しなければならないのに そうではなくまた違った方法で売り続けなければならないという、事務所の意向によって ただ一人一人の活動を強調するという形に移っただけになりました。
これでは彼らの持っている精神的な不満や恐れ嫌気疲労などは取ることはできないでしょう。 解決策になっていません、いつかボロが出るでしょう。先にも言ったように彼らはもともと本当に愛情をもって7人でいるわけで7人で一つのものを作りたかったわけですから 、そうしたことを全て排除して否定してただまだ売上のことばっかり考えているあのでかいビルを作ってしまった事務所は 、
これからもゴリ押ししてでも販促するでしょうがそうしたやり方にもう無理を感じて痛々しいのです。
だから私はもうツイッターで書くことがなくなってしまったわけです。
矛盾していますが 、本当はまだまだ書くことがたくさんあるけれども書けないという一方で、 もう関心が無くて書きたくない見たくないという二つの心が私の中で同時進行しています。
そのような状況ではもうツイッター もそろそろ終わりかなと思っていたところでした。
一番 私が書くべきことを書くときに4つ目のツイッターがあったのかなとも思います。だからあれだけのアクセスがあったのかもしれません 。私はツイッターで BTS 礼賛をしていたわけではありません。
K POP の一員として何をやっているんだ!!と叱責ばっかりしてきたわけで厳しいことを書き続けてきたわけです。だからハッシュタグにいつもOUTBTS と入れてたわけです.
それは彼らを嫌いなわけではなく今の自分達から解放されなさいという意味でつけていたのです。 それにおそらく賛同するファンの方々興味を持つファンの方々がたくさんいたから読まれていたのでしょう。
そしてこの4回目の アカウントは初めて私は何もしていないのにフォロワーになってくれる人たちがいました 。それは最高値で100人ほどいらっしゃいました。
私が最後にやめると宣言してしばらく休んでいた時も85人ほど残ってくれました。 それは本当に感謝することです、ありがたいと思っています、ありがとう 。
そして 私が望んでいたように BTS について良いことも悪いことも厳しいことも悪いことも正直に話せるファンの友達が欲しいと、日本語で話せる友達が欲しいと思っていた望みが叶いがかっているところでした 。
私のサイトを見てメールを下さる方が増えてきたからです。 そして 彼女たちと真剣に BTS について語れることがとても楽しいことした。おしゃべりに飢えて苦しんで3年になります 、だから友達が欲しかったからです。
しかしメールが増えて嬉しいということを書いたとたんに、今までおそらく私を憎にくしく思っていた人が、これだったらあたしもしくは俺 もメール書けるわと勢いついて、誹謗中傷を受け嫌な気持ちになっただけでなく、もう私はただでさえ自分は BTS について書くことはないな、もうあの人達のソロ活動について一体何を書けばいいのか、そもそも見たいとも思わないのにかけないな、という気持ちが浮上してきました。
そしてこの嫌な 出来事を機にとうとうその気持が自分の中で明るみに出てきて、私はやめたのですが、ある意味私はとても感謝しています。 これは非常に大きなタイミングだったと思います。
一言言っておきますがこういうことをする人 に感謝してるわけじゃありません。
SNSにおいて、 いかなるものであれ人の心を傷つけることはあってはならないけれど、私の場合このbadな事はラッキーにつながった、ラッキーなことをうんだということです 、災い転じて福となったのです。
こういうことがなければ私はズルズルとどうでもいいことを書き続けていたかもしれません。そしてまさに転落アカウントになっていたかもしれません、いやそうなっていたでしょう。
けれどもいい状態のアカウントのままで私は終了することができました、 とても良いタイミングだったわけです。
そして私自身がもう BTS に疲れており、今のバンタンの姿を見たいとは思っておらず、 彼らについて書くことに疲れており、常に彼らや事務所に気を使ってなければならない状況にも疲れており、疲れきっていたところにやはり嫌な人、そういうものってのは来るんですよね、マイナスの物っていうのは。そういうところに隙があるわけです。 弱ってる人はたたられるって言うじゃないですか。 弱っているから自分が迷っているから、弱っていたり 脆弱な状態に、不快なことをしたいと思っているやつがすっと入ってきてしまうものです。
だからやっぱ強くなくちゃ、何かとツイートでも言われるしSNSでも標的にされる。そして自分自身、自信と情熱を持って書いていないと人は見てくれませんし、 気付いてくれません 。
逆に情熱を持っていると「私は情熱を持っています!!」とかって言わなくてもまたスキャンダラスなすごいことを書かなくても、誰かは必ず見ててくれるもの。意外な記事がたくさん読まれたりすることも多くあるものです。そういうときこそ、何故か不思議なものなんですけれども人は集まってくるんですどんどん集まってくるんです。
でもどんなにスキャンダラスですごいことを書いても、弱っていて、嫌気がさしていて、情熱がないと本当に人って集まってこないんです 不思議ですよね 。
だからあれは私自身が脆弱になっている時だったからこそ、ああいう弱き者を挫く人間が現れて叩かれたわけで、私が良いエネルギーを出して自信満々で良い記事なりツイートなりをパワー全開で書いていたのだったらそういうこと、そういうもの、そういう人間はよってこないんですよね。それを感じてでもいかに自分が疲れていたかということなんです。
それはだからやめるべくしてやめたのだと思います。うん、やっぱりなんかの摂理によって運命は流れているのかもしれません。 私はこの4つのツイッターアカウント でたくさんのことをこうして学びました。
今回に関してはただ SNS を漠然とやり人と出会ったり別れたりとかっていうのではなくて、なんか人間そのものについてとか SNS の良さ悪さなどについてを学ぶことができました。自分についても学びましたし人についても BTS 、ARMY、 ファンや K POP やエンターテイメント、音楽業界、人との関わり、人間そのものについても再考することができました。
そして単純に私は大したことのない人間ですから、これだけのアクセスをもらっただけでも本当に自己満足しております これだけで私は十分です。
友達と言いつつお互いに信頼してないSNS界隈
ただ昔のように、 SNSやツイッター によってどんなに注目されることがあっても 、インプレッションエンゲージメントプロフィールの閲覧がある程度上がったとしても 、リアルの友達やクライアントさん仕事など自分に都合のいいものや自分が望んでいる関係がやってくるわけでは決してないということ、これは今しばらく荒れたSNS社会では変わらないでしょう。
昔は、もっと SNS が珍しい時代 だった頃は、もっと効果的にそれを使ってお客さんでも友達でも仕事仲間でもイベント参加者でも募ることが簡単にできました。実際にたくさんのネットを通じての起業家 やクラブ活動などが生まれていた時代もありました。ほんのちょっと前までです。
でも今はそうではありません、みんな詐欺から逃げるために自分を守っています。自分を出さないようにしています。だから書くことがみんな同じになって平坦になってしまっているのです、その中でマウントしてたって競争するのってくだらないし無駄ですよね。
そういう意味でも SNS はあまりもう意味をなさないものかもしれないと思っています 。
どうしてもやらなければならないものではない、やって意味があるかといえば私は正直ないと思ってます。
その時々の一瞬の楽しみとか時間つぶし暇つぶし自己満足と承認欲求そういうもののためにあるもので、後はゴミになってくだけなんです、消えていくだけ。
大事なのはリアルな愛情と 情熱
でもやっぱり記事に何かを書くことによって誰かに響く言葉が生まれることもあります。
自分が書いてきたツイートは決して適当に書いたものではありませんから私は無駄な行為だったとは思っていません 。 すべてのツイートに私は情熱と 心を込めて書いてきました。
だからある意味 私にとってはブログもツイッターも SNS もいつもリアルです。少なくともリアルに直結しています。
ただどんな情熱を持ったとしてもやはり今のSNSでは、何をしてもいっときの夢、一瞬の満足であるということを自覚した上でやらないと、そして荒らしや各コンテンツのバカバカしいヒエラルキーや、 生きる意味を失ったものの怒りや憎しみや暴力にあふれているリスクの方が大きく、
実は ある意味そればかりで、愛情や思いやりはない界隈なので、 自己満足 以上のものになることはまあないと考えていいでしょう 。
それでも良ければやればいいと思うし、それほどの意味しかないということに虚しさを感じるのであればやめたほうがいいと思います。
SNSは疲れる度合いの方がずっと大きいですから 。それにやはり大事なのはリアルですから。
私は生きてて最も大切な財産っていうものの一つは自分の好きなことを追求していくっていう情熱、そして自分の好きなことを共にやっていける仲間との人間関係や愛情だと思っています 。
一つ目は自分で何とかなりますが二つ目はどんなに頑張っても今の時代努力で無理してでも得ることはほとんどできません 。
それが得られることが、ある意味では昔SNSの大きな1つの醍醐味であり財産でした。
しかし今はもうそういうことはめったに起きないと考えていいでしょう。
ということは SNS の重要な意味合いというのは今はかなり削がれてしまっているということです 。
SNS には、特にツイッターは今オタクが多いのではないでしょうか? オタク同士がオタ活・押し活をしてただひたすら語り合うという、よりも正直競争し合う 。マウントしあう。仲間同士のように見えて、ヒエラルキーをつくる。そういうことのためになんとなく使われてるような感じがします。
ツイッター は昔もっと意見する人達の場でした。 しかし今では全く100%に近いほどヲタ活の場となっています。 活動する人のための 情熱を表現するのではなくて 不活性化した人たちが アニメやアイドルなどに ガチ恋したりリアコになったり自分のものだと思い込んだりして、またキャラクターなりきりに行ってみたりして同人誌と化し、ひたすら家にこもって 生きる人々のためのツールになりつつあります。
それは私が望む自分の姿ではないし、自分はそういうタイプではないので違う道だなと感じています。
それでもそれでもそれでも、やはりツイッターで何かを書かないといられないほど私は自分自身を持て余していました 。おしゃべりができる相手がいないと 言ってもそれは Skype の先であったりする。その虚しさ。
それを埋めるために私は ツイッターをやり始めたわけですが、 中にはいつ私をディスってやろうと狙っていた人もいるかもしれないし、私は偶然にもコメント欄がブランクになっていたので分かりませんが、 思いっきり悪口を書かれていたかもしれません。
コメントが見られなかったことはある意味それから解放されていられ、自由に書くことができて、私を自由にしてくれて、ラッキーでした。ただコメントに誠実な気持ちを書いてやさしいことを書いてくださった優しい心の持ち主に対しては、本当に返事ができなくて申し訳なかったと思ってます。
それでも本当にこんな私のツイートを これだけの多くの人が 見て 読んでくれた、 そのことに感謝する気持ち1人1人に 感謝する気持ちは 正直とても強いです、ありがとう ございます。
意見は違ったとしても それでも何でも見てくださって読んで下さった人がいるということ、 私は真に感謝を感じています。そんなわけで今後は、ブログ?
わからないけどとにかく、リアルを再重視していきたいです。
国際事業・国際交流という原点に還って
私は そもそも自分のアカウントを見る人なんていると思っていなかったし、 ツイッターをやることを自体みんなに反対されたので、 どうせならブログのように一生懸命書くということとはまた別に 好きなことを選び、 成り行きでなんとなく陳情令やBTSというテーマで つぶやき をしてきたのですが、本当に書きたかったのは武術のことでした。
私は決して、陳情令やBTS専門家ではありませんし、音楽評論家でもないし、今はKPOPからずっと離れています。
それでも、私は今後もすこしでも、何かKPOPと関わっていきたいと思いますし、元旦那がこれからもBTSを大事にするつもりならば、私も共にBTSと関わっていくことになるでしょうが、
正直私自身の判断で気軽に付き合いを決められるほど、BTSというのは今のところそうそう簡単に会えたり付き合いができる存在ではありません。元旦那はそれを自分の気ままで決められますが、あの人はもう、そういうことができてしまう世界的な権威を持っている人なので、OKなのです。韓国社会とはそういうところです。
だから、彼らとの出会いは運命だったとしても、今後のことは、これまた本当に運命に任せていますし、元旦那次第でもありますし、人生次第ですし、全くこだわってはいません。ただ言えるのは、私はBTS専門さんではないということです。
もし心ある思いやりある愛情ある方々で、私のツイッターをきっかけにブログも見て下さっている方がいれば、そして本当に私のしていることにご興味がある方がいれば、今後もどうぞよろしくお願いします。あの、私ほんとになんかの団体とかじゃないですから。
私の本来の専門は、武術であり、アジア文化であり、国際交流、国際事業、言語教育、デザイン、アートです。
まだほかにもありますが、とにかく、このスタジオにおいては。その先に、偶然興味も何にもないBTSがいた、というだけ。
でももっともっといろんな凄い才能の人たちもいて、もっともっといろんな人に出会ってきています。BTSは注目度がすごいし、単純に彼らは面白いし輝いているし個性も大好きだからツイッターで書いていたけど、バンタンだけではなく、すべての出会いが大切なものでした。
何かの形で、一緒に韓国語を学習したり、BTSについて話したり、韓国のデザインや文学について勉強会したり、もっとアジア全域に興味のある方とは武術練習会をしたり、華ドラについて語ったりできたら、嬉しいです🌻
暑いですね、乗り切っていきましょう。