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2022年6月BTS休止が意味するもの示唆するものもたらすもの①

BTSが昨年末に引き続き休止を宣言した。これがもたらすことを考えてみよう。

今度の休止は、前回とは違い「家族と過ごしたい」などの曖昧なものではなく(それも本心だろうけど)、ナムジュンははっきりと「ダイナマイト以降自分たちが何なのかわからなくなった」と語っている。

彼の言い方はだいぶまわりくどい言い方ではあるけれど、それでも彼らの人気にあやかって、何でもかんでも商品にし、ホワイトハウスでもなんでも連れていき、国家的な権力存在かのようなPRをし、何をするにも大げさに騒ぎ、韓国の代表のように仕立て上げた周りの大人たちへの、一種の反抗・拒否宣言だったと言える。

コロナになって以来、特にダイナマイト以降、BTSは確かにすでにおかしくなっていた。彼らはもともと、社会に疑問を投げかけながらも自分らしい生き方を模索するような楽曲で出てきたのであって、それがまるで何でも政府や事務所の言う通りに動く傀儡王子になってしまっていた。

それでもこの世界的人気は、コロナのステイホーム中だったこともあり異例の大成功をおさめ、もちろんビートルズなどと比べ称するのは間違いだとしても地球規模な存在感と影響力と人気を獲得してきたのは事実である。

そしてその存在感を助長するかのように、彼らは何でもやった。別に必要のない海外有名アーティストとのコラボや、偏重としかいいようのないアメリカ化、TTや21の大げさまでの物販、大げさな宣伝に合わせたオンコン、国連スピーチ、そして最近では押せ押せでホワイトハウスで大統領と仲良しショットをし、アジアンヘイト反対を訴えるという。

この売り込み方の激しさはもう戦略を超えて激しい謀略といえる。何が何でも儲けてやる、もっともっとというエゴのなせるわざというのか、何という本人達の意志不在の販売戦略とその戦略の統一感のなさ。とにかくBTSならば何でも売れると気付いた事務所や商社やブランド側が、何かと彼らを起用するのではなく使って、金金金儲けに走るのも、もういい加減にしてほしい、と私は特にTwitterを通じて訴えてきた。

思えばコロナ蔓延の中でステイホームの辛さや孤独を埋めてくれるTwitterに久々にはまって書きまくっていたことといえば、ほとんどBTSのことだが、そのほとんどは批判や今のやり方あり方作品などに対する反発だったと思う。そして彼らはあまりに若くして大成功してしまったので、すべてが特別扱いであり、すっかり天狗になって、偉そうになって、すでに手を付けられないわがまま王子になってしまったとも書いてきた。

でもその一方で、前述したように、それがほんとに彼らの望みの姿なのだろうかという思いは強くあった。彼らは完全に自分の意志で創作し、自分たちの作りたいことを作品にし、自分たちのありたい姿でアーティストをやっているとは言えなかった。彼らのすることなすことすべてが決められ、傀儡になっているのではと、ずっと懸念はしてきた。でもその一方で偉そうでもあり、成功を自慢しているようでもあり、自分たちの意志もしくは同意によってあれほどの激しい販売戦略を組んできたのか、すべては半分以上いやいやながらもプロデューサーの言うことを聞いているだけなのか、今の自分たちについて悩んでいるのだか歓喜しているのだか、段々私もわからなくなった。

でもそれがやはり、傀儡化していたのだと今回の休止でわかった。
自分たち自身がありたい姿と離れていき、作りたい作品さえすでに分からなくなっているほどまで精神的に追い詰められているということは、ちょい出しで完全な告白ではないにしろ、ナムジュンの最後の言葉でよくわかった。そこですべてが見えてきた気がしたし、もやついていたわけのわからなさがハッキリした。

結局彼らは世界制覇・世界的名声・世界的人気の代わりに、大々的かつ容赦ない販売戦略によって大きな一つの商品となり、また政権にも忖度すべき政治的存在として扱われ、事務所はまるで権力を掌握した丞相?のようになって彼らを売り飛ばし、結果BTSは自分らしさを失うこととなっていたのだ。私の予感というか読みは当たっていた。

事務所は盛んに「休止」ではなく「ソロ活動専念」といっているが、むしろその方がもっと良くない。


休止ならば、疲れているから休みたいのだな、と単純に考えられる。ところがKポの世界では休止イコール
①もうほぼほぼ解散②解散したような転落③転落したまま活動
いずれかに向かうことを示唆・意味してしまうので、事務所は必死になって「ソロ活動をする時なのだ」という。でも、ということは、疲弊してもう何もできないのではなく、活動自体はできるほどの力・パワー・クリエイティビティーはある、ってことだよね?これは活動をやめるほどではないのだけど、とにかく「メンバー全員がそろっていることができない」という深刻な内部事情があると、事務所自体が宣言しちゃっているのと同じなのではないか?

ここで、休止の意味や解散という意味や重さが、日本の芸能界やJPOPのそれとは同じではないことをよく前提としておいていただければと思う。KPOPは休止でもすれば、はい次!と事務所によっては温情もなく次に向かってしまう。また出てきたい若者はたくさんいるし競争の激しさは日本人の想像を超える。

常にトップを維持していないと、常にアクティブでいないと、常にいい状態で活動を、結束を保っていないと、すぐ崩れるのがKPOPで、だからこれほどまでに人気だったグルが事実上の解散状態、ボロだし状態のままとどまっているのだ。あるいはすぐに消えて行ってしまうのだ。

また日本のようにおじさんになっても、「活動再開おめでとう」「SMAPって歳とってもいいね」とかいう風習が今のところないので、事務所は絶対に「休止」にはしたくなかったのだろうが、その代わり、メンバー達は「活動」はできる余力は持っているというのに休止という宣言は、

「もうBTSは一緒にいられなくなってしまったのです」と宣言しているのと同じことだ。一緒に活動したいしその力もあるのに、それが上手くできない「何か」があるということだ。大体私には見当がつくが、ここであれこれ言うと関係性に影響がある。ここら辺は、有り余るほどの事実上解散や休止を見てきた元旦那がキャッチしておけばまあいいだろう?

コロナが来てからの数年の間に、彼らの人気は世界の悲惨な状況と反比例するように急上昇した。
しかしこの間、私は「おかしいな」と思う兆候をすでにいくつも見ていた。


テヒョンがスターだと言われるのを極端に嫌がる姿、テヒョンの涙をこらえた訴え、ジミンの大泣き、ジョングクの失態続き、ユンギの心身不調。

まずテヒョン。


以前アミから「日本のテレビに出ている時のテヒョンが顔面ひきつってて、冷たくてすごく嫌です。テテは日本が嫌いなんですか。」と何度か聞かれたことがあるがそのたびに私は、テヒョンが想像以上に疲れているし、ある意味で日本のファンに甘えてその疲れたままの自分で出演しているのではないかとアドバイスしたものだった。実際、テヒョンは世界ツアーをするようになっても、自分のことは余り知られていないと本気で思っているような青年だ。そしてできる限り自分のしたいようにしたい、マイペースでかつ個性的である意味ではすっとんきょうな天然系。だからこそ、BTSのイメージに縛られることに疲弊していったのだと思う。

あの頃、日本のテレビに出てくる彼らが不機嫌そうでやる気もなさそうだった偉そうだったあの態度は何かなどなどと大騒ぎだったのは、そもそも日本人の中に「BTSは日本が嫌い、日本をバカにしている、軽視している、反日なんだ!」という思い込みが根強いからだと思う。

よって韓国でも同じような対応をしていても、何も韓国人が思わないことまで日本人は反日の態度だと騒ぎだす。なんでもかんでもこれに乗じてBTSは反日だと騒ぎたてる輩もいる。しかし、あの頃からすでに、テヒョンだけではなくみんな疲弊しきっていたし、自分たちのアイデンティティーを見失い始めていたのではないだろうか。一言付け加えておくと、あまりにも何でも反日に結び付けてBTSを見ると、本当に彼ら自身がその視線に疲れて日本を嫌い、避けるようになってしまうよ。私の知る限りにおいて、彼らは反日ではない。

そして皆が知るように、ジョングク。


さて、こうして変化の兆候はまずテヒョンに見えた。そしてその後、ジョングクがまあ、ファンなら知っていることだから省略するが、失態を繰り返した。彼の場合はもうヤケになって反抗しているような、反抗を意図的にしては叫んでいるようなところがあった。彼はもともと優等生ではない。模範となるような良い子でもない。もっと自由で不良でやりたいようにやりたい、ある意味情熱的な本物のシンガーだと言える。彼がアドリブで遊びでジェームズ・ブラウンの歌を歌ったとき(多分あれはジェームズ・ブラウンかそのあたり)、その迫力と表現力、力強さとアメリカンなところに驚いたものだ。彼はきちっとアメリカ音楽を学習していた。

だが彼ほど国連のスピーチに似合わない人はいない。そもそもソウルシンガーには国連でのスピーチなど合わないし、必要がない。ソウルなのだから、思い切り歌えば一番なのだ。なのに彼はそこに立たされ、まるで世界の正義の味方であるかのようにふるまった。そのイメージは崩してはならないからその後も良い子のようにふるまってきた。でも結局、もっと自由にありたいという気持ちが爆発したんだと思う。それ以降のジョングクは歯止めの聞かない状態で、そのまま素行不良みたいなことを繰り返してきた。

でも自分がそれで大いに批判され、嫌われ、大ファンだった人たちが多く去っていったことを彼は知って、自分は嫌われ者だというレッテルを自分自身に貼ったと思う。でも開き直っていたジョングクはそれでも素行不良をやめなかった。

嫌うなら勝手に嫌えという態度だった。その一方で、かなり悔しかったのか、オンコンのステージでは人一倍のパフォーマンスをし、人一倍魅了したし実力を磨いた。

そもそもダイナマイトという曲は、ジョングクなしでは成り立たない。どうやってもあの曲の魅力を一番引き出しているのは、ジョングクだ。彼の得意な分野の曲だ。

もともと彼にはアメリカンポップス的な雰囲気を作ることや、ソウルミュージックが性にあっている。ダイナマイトにまさに火をつけているのが、ジョングクなのだ。でもそういうジョングクが、学校の優等生みたいであるはずがないだろう。けれどBTSは、世界の模範的若者を演じなければならなかった。

そして私がBTS決定的にやばいな、と思ったきっかけは、ジミンだった。

彼は泣き虫で、よく泣くことは誰もが知っている。それは時に甘えでもあったが、とにかく本性泣き虫だと言える。一方で彼は自惚れしやすく見栄えを気にする自己陶酔なところもある。そしてやんちゃなところもある。

けれどもやはり彼の本質はアーティストであり、ダンサーだと思う。彼はステージパフォーマンスに大きく力を入れてきた。おそらく24時間そのことを考えていると思う。そのジミンがあるときステージが終わると泣き出した。それはいつもとは明らかに違う涙だった。

彼は自分はいくらやっても良くなれない、いいものを見せられない、見てくれる人たちがいるのに失敗ばかりしているといろいろとつぶやいて、ひどい顔をしたまま、涙を流し続けた。大泣きしていた。あまりにも自分に絶望したのか、起き上がれなくなったので、メンバーが起こして抱き上げたが。あの時何か様子が変だと感じていた。いつものジミンの恒例の泣き、とは違うと直感で思った。

全体的に見ても彼らは昔のように張り切って楽しくステージパフォーマンスなり曲作りをしているようには見えなくなった。いつも何かに追い立てられ、まるで苦しめられているかのように私には見えた。私は多くの韓流アーティストと交流してきており、また破滅寸前のアーティストや解散寸前のグループの苦しみを聞くことが多かった。というのもKPOPアーティストは、デビューだけは山ほどするがその後のケアがあまりにも希薄で、きちんと周りの大人たちが彼らを守り導いているとは思えなかった。

出すだけ出して、あと売れなくなれば捨ててしまえ、という考えは、KPOPだけではなくJPOPにもあるし、世界中のエンターテインメント業界にある。でも私が見ていたのはKPOPだからその限りで言うと、もうちょっと若い彼らをサポートしていく体制があってもいいと思っている。少なくとも彼らを支えるバディが必要だとずっと思ってきた。一番多いのは内部抗争だが、それを仲介することも、個々の悩みを聞くこともできて、かつこの業界のプロ製作者でもある人。そういう人の支えは必要だ。

苦悩する彼らを見てきたおかげか、私にはKPOPの、特にボーイズ達の苦しみ悩みというのは容易に想像ができるようになっていた。また誰が成功し誰がアーティストには向かないかも、写真などで一瞬でもうわかるような審美眼まで身についていた。そして彼らがどの時点のどの問題でどう転ぶのか、どう悩むのか、大体予想がつく直感がさえわたっている。手前味噌だがKPOPのボーイズ達のコンディションならば、私ほどすぐにつかみ取れるものはない。そして私ほど彼らと語り、ガチでぶつかるすべを知っているものもあまりいないだろう。それほどガチでぶつかってきたからだ。私は常に本心を話したし本心を聞き出そうとしてきた。

だから、BTSが変化しているさまはすべてちょっとでも目についたし、すぐに気になった。

そして私の直感では、2021年の秋がBTSのタイムリミットだった。

あの時、もう駄目だこれは。誰かが手を差し伸べるか、徹底的に話を聞いてあげる必要があると、そうでなければ今後、この子たちは転落するか、ヤケになるか、最悪の場合解散するか、ろくでもないグループに落ちぶれるか、とにかくいいことはないだろうと考えた。そのリミットが2021.11だったのである。

よって私は元旦那に彼らに会って話せるようにお願いした。けれど私たち自体が関係に大きな溝ができており、それを修復しなければならなかったので当然のことながら超頑固な彼は願いを聞き入れなかった。

そうこうしているうちに、韓国でのコロナが大爆発した。これ以上ないほどの感染状況。とても韓国に行けるそれどころか連絡することさえはばかれた。余計なことを口出しすることさえはばかれた。

ああ、もうBTS限界だろうな、思い切りとにかく話したい、とその時思っていると、案の定そう思ったすぐにBTSが活動を一時休止するとのニュースが入ってきた。

休みたいということだったが、これまたKPOPアーティストを多く見てきた私にはそれだけではないだろうということがすぐにわかった。そしてこれがBTSの変容期の始まりになること、最悪の場合解散の引き金にさえなるだろうと感じた。やはりあの時話すべきだと思ったのは正しい直感だったのだ。

それから間もなくして、コロナ騒動も収まり彼らは復活したが、またもやホワイトハウスに行くなど下手な芝居?をし、オンコンはさんざんにたたかれた。ダンスや歌は適当で、すでにアジアは目に入らず、ひたすらアメリカでの成功だけを考えている金の猛者のように言われ始めて久しい。ファンでさえ平気で猛烈な悪口をたたくようになっていた。どんどんペン卒する人が増えた。実際もうこの頃、すでにすべてはさんざんで、投げやりだった。

それでも、ますますビックになるために事務所がぎりぎりまで頑張るつもりなんだろうと思っていたところで、また休止となった。今度の休止はいわゆる正月休みではない。真剣に、自分たちを仕切り直ししたいという彼らの規模言うによる休止状態に入るという宣言だった。やはり、来るべきものが来たかという感じだった。

私の知る限り、KPOPアーティストにおける休止は解散に近い。解散しなくてもそれに近づいているか、実質解散を意味する場合もある。(続く)

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